歴史を動かしたプレゼン:林 寧彦(著) 起業家の投資家説得にも似て

久方ぶりのエントリーで、社長ブログに相応しい書評、キュレーションです。

歴史を動かしたプレゼン:林 寧彦(著)

歴史を動かしたプレゼン :林 寧彦

まず、前書きがクールです。

パワーポイントを使うプレゼンが主流になりつつあるようだが、広告会社のクリエイティブ部門が行うプレゼンは、今もA3の企画書が基本である。

理由は、紙を使ったプレゼンのほうが成功率が高いことを経験で知っているから。

私も、百均の落書き帳を数冊常備しています。
何か企画するとき、商材を開発するとき、ビジネスモデルを練るとき、対面して人に説明するとき、大活躍しています。

この本は、以下の企画がなぜ実現できたのかをトレースしています。

  • イタリア人のコロンブスが、スペインのイサベル女王を新大陸発見のスポンサーにした
  • 秀吉が、清洲会議で三法師を織田家の後継者にした
  • 漂流者大黒屋光太夫の日本帰国を、ロシアのエカテリーナ2世が認めた
  • クーベルタンがオリンピックを復活させた

コロンブスの章は、ベンチャー起業家が投資家から莫大な資金を調達した話になぞらえてあります。

エレベーター・ピッチ(elevator pitch)という言葉がある。

投資家の事務所があるのは超高層ビルの上層階。融資を申し込む人はエレベーター前で待ちかまえて、投資家と同じエレベーターに乗り込む。地上に到着するまでの20~30秒がプレゼンテーションの持ち時間。そのあいだに自分のやりたい事業をプレゼンするのだという。1階に着くまでに投資家の興味を惹くことができれば、「続きを聞かせてもらえないか」とラウンジでのコーヒーに誘われる。

続きを聞かせることができたコロンブスの成功。

資金調達や、販売促進など、非常に高く深い「プレゼン」の話です。

歴史を動かしたプレゼン (新潮新書): 林 寧彦: 本

セミナーのやり方とか、より確実な儲け方とか、そんなネタではありませんが、経営や営業の本質を突いていると思います。

イノベーションのジレンマ:クレイトン・クリステンセン著

私が会社をつくるときに覚悟を決めた本です。

イノベーションのジレンマ:クレイトン・クリステンセン著

イノベーション(innovation)とは、革新とか新機軸とか訳される、ビジネス用語です。

イノベーションのジレンマ クレイトン・クリステンセン著

イノベーターでない人は、
起業してはいけません。
経営してはいけません。
意志決定してはいけません。

イノベーションには、持続的イノベーションと、破壊的イノベーションがあります。
前者は改良や改善、後者は革命、と言えるかもしれません。

どの市場でも、破壊的イノベーションをもたらす新興企業が、持続的イノベーションに長けた超優良企業を潰しているそうです。

クレイトン・クリステンセンはこう書きます、

優れた経営こそが、業界リーダーの座を失った最大の理由である。

恐ろしいでしょう?

優れた経営だから、ダメなのです。

顧客の意見に耳を傾け、顧客が求める製品を増産し、改良するために新技術に積極的に投資したからこそ、市場の動向を注意深く調査し、システマティックに最も収益率の高そうなイノベーションに投資配分したからこそ、リーダーの地位を失ったのだ。

絶望するでしょう?

優れた企業だから、ダメなのです。

これまで以上に綿密に計画し、懸命に努力し、顧客の意見を受け入れ、長期的な視点に立つことは、すべて問題を悪化させることになる。

気が狂いそうでしょう?

優れた方針だから、ダメなのです。

ごく少数の例外を除いて、主流企業が迅速に破壊的技術で地位を築くことに成功したのは、経営者が自律的な組織を設立し、破壊的技術の周辺に新しい独立事業を立ちあげる任務を与えたときだけである。

今までの主役は、次の主役には絶対になれず、それどころか、新しい主役の足を引っ張り、新しい劇がはじまることを認めず、洗練され、慣れ親しんだ古い劇を演じ続けようとするのです。

新しい市場につながる破壊的技術を扱う際には、市場調査と事業計画が役に立った実績はほとんどない。

新しい市場がどの程度の規模になるかについて専門家の予測は必ず外れる。

投資のプロセスで、市場規模や収益率を数量化してからでなければ市場に参入できない企業は、破壊的技術に直面したときに、身動きが取れなくなるか、取り返しのつかない間違いをおかす。

未知の技術であり、新しい市場ですから、既存のデータは存在しないのです。

ということは、まぐれ当たりを期待して、えいやっと、やってみるだけということです。

だから特に起業家は、博打打ち、ギャンブラーでないとやっていけないわけです。

本質的に、官僚体質、役人根性の人間は、起業でも経営でも、無能ということになるでしょうね。

だからといって、夢とかロマンと、破壊的イノベーションとは、まったく違うものですから、勝つまで止めない、負けそうだと傷口が広がらないうちに撤収する、そういった野武士的な戦いのセンスが必要でしょう。

私が、覚悟を決めて会社をつくったというのは、そういうことです。

ある意味で、売上を高め、会社を大きくするまでは、マンティコアのように食い尽くして図体をでかくするということでしょうか…

どのみち、最後に勝つ経営者はそういった人種ですから、食わなければ食われるということですよ。

すでに、戦争ははじまっているのです。

この本を読めば、
自分が勝ち残れる経営者か、そうでないかが分かるでしょう。あるいは生き残る方法が見つかります。
自分の会社が伸び続けるか、突然死するか、予想がつくかもしれません。
Panasonicの苦悩や、SONYの低迷も理解できるでしょう。
日本自体が、長期衰退傾向にあると、身の毛がよだつでしょう。

超訳『資本論』的場昭弘著 起業家として読む「資本論」序章

私は、起業し、1円株式会社とはいえ社長になっています。

今また逆に世の中では、サヨクが、「蟹工船」でワーキングプアの自分たちになぞらえ、また「資本論」を読んで、資本主義の搾取を暴き、階級闘争を目論む者も出てきているようです。

私は、実は「資本論」を読むにいたったと同じ理由で、社会主義が大嫌いです。

今後展開する予定の、起業家として読む「資本論」の結論は、計画経済および官僚主義の批判であり、全体主義の拒絶であり、消費者不在の労働運動の否定です。
そしてマルクスの誤りは、西洋知識人が誰でも陥った「科学」に対する信仰だったのです。

超訳『資本論』的場昭弘著

超訳『資本論』的場昭弘著

では、マルクスの「資本論」の前に、レジュメのような本を紹介しておきましょう。

超訳『資本論』: 的場 昭弘

マルクスの「資本論」では、商品の交換によって、ある商品が貨幣の形態を取るようになり、この貨幣が資本へと転化する、と論理を進めます。
これは、非常に弁証法的な展開で、知的な満足感を得ることができます。

なおマルクスは、人類の歴史として市場社会や資本主義が登場し、資本家は資本の人格化であり、極端に言えば歴史の必然性によって、搾取をさせられている、資本家という役割をこなしている、という認識を示しています。

つまり、剰余価値にせよ、階級闘争にせよ、善悪の彼岸にあるということですね。倫理とか道徳とか、あるいはヒューマニズムを超克した、歴史主義と言えるでしょうか。
これが分かっていないサヨクが非常に多いです。

商品・貨幣・資本と市場社会 そして「科学」

さて、的場昭弘氏は、はしがきでこう述べています。

遺伝子たる商品が残っていれば、また同じような資本主義が復活します。

語るに落ちた、と言えば失礼でしょうが、サヨク的に搾取をともなうと見なされる資本主義は、市場経済と不即不離であり、「資本論」の冒頭にあるように、商品は貨幣を生み貨幣は資本に変わるわけですから、話はややこしくなってきます。

つまり、資本主義を廃止するには、資本家を打倒するのではなく、市場社会を壊滅させなければならない、こういう結論になりかねないのです。

そしてさらに、生産と消費の矛盾、その暴力的な解決が恐慌です。

となると、市場経済を廃止し、生産と消費の矛盾を解消するために、計画経済なるものが後世に発明されることになります。

頭のいい人、よく分かっている人、指導者が無知な大衆を導くわけです。

これが、党とか官僚とか全体主義の温床となる理論的根拠なんでしょうね。

社会主義に限らず、政府による規制または保護も、似たり寄ったりです。正しいことを考えるという人が、君臨するからです。
だから、自由の人ハイエクは、ケインズを批判したんでしょう。

分かっている人が、分かっていない人に干渉する正当性が、「科学」という正しい結論を出せるという信仰なんですね。

一度サヨクは、剰余価値を発生させない企業を作ってみたらどうですかね。やれるものなら…

資本家の誕生 本源的蓄積

労働力の商品化によって、不払い労働が発生し、それが剰余価値の正体であり、搾取の源泉とされます。

なぜ労働力の商品化が起こるのか、なぜ賃労働を行うのか、それは生産手段が資本家に奪われているからだと。

資本主義が回り出すと、資本と労働の関係は再生産されますから、資本家は一生資本家、労働者は一生労働者となり続けます。

では、資本主義のはじまりはどうだったのか?

それが、本源的蓄積と呼ばれるもので、例えば農民から暴力的に農地を奪うことだったと、「資本論」では解説されます。

そのほかの資本家誕生の例として、

疑いえないことは、多くの小さな同職組合の親方と多くの独立手工業者、あるいは賃金労働者さえも、小資本家となり、そして、賃金労働者の搾取のゆっくりとした拡大と、それに照応した終わることのない蓄積とともに、完全な資本家になったのだということだ。(「資本論」からの引用部分)

資本家がどこから来たかは、不明確です。ただ言えることは、機を見るに敏なるものにはチャンスがあった。

ということですから、今も同じように起業すればいいんじゃないでしょうか?

事業を考えたり、商材を販売したり、労を惜しまなければ、嫌なこと不得意なことでも死ぬ気で取り組めば、全員とは言いませんが道は開けると思うのですが…

なお本源的蓄積も、歴史的事実は「資本論」の記述とはかなり違っているというのが、現代の認識だそうです。

インテリゲンチアだった青年時代の「資本論」

カール・マルクス「資本論」岩波書店 向坂逸郎訳

私が、起業家として読む「資本論」を展開する自信や根拠は、次のとおりです。

「剰余価値」とか、「搾取」とか、「階級闘争」とか、サヨク用語を使って私を批判しても無駄です。

私は、そこら辺のサヨクとは比べものにならないくらい、マルクスに、また「資本論」に打ち込んでいます。

大学に入ってすぐ、大きく影響を受けた先輩T氏と一緒に、毎週土曜日午後から夜間にかけて読書会をやりました。

その時に、私が用いたテキストが下記、岩波書店・向坂逸郎訳の単行本でした。

お見せできませんが、赤い傍線や、書き込みや、付箋などでドロドロになっています。

第一外国語の専攻がドイツ語だったので、当時東ドイツ共産党(ドイツ社会主義統一党)のマルクス=レーニン主義研究所が刊行した、ドイツ語原書も入手しました。

下図は、ドイツ語原書の中表紙です。

カール・マルクス「資本論」ドイツ語版 カール・マルクス「資本論」ドイツ語版 中表紙

そして、「資本論」第一巻に限って、マルクスは英語版とフランス語版を出版しています。

カール・マルクス「資本論」英語版 カール・マルクス「資本論」フランス語版 邦訳

左が英語版の原書、右がフランス語版の日本語訳です。

そして日本語訳は、向坂訳単行本だけでなく、何度も読み返す意味も兼ねて、文庫版を3種類仕入れました。

カール・マルクス「資本論」邦訳 岩波文庫版 カール・マルクス「資本論」邦訳 国民文庫版 カール・マルクス「資本論」邦訳 青木文庫版(長谷部文雄訳)

左は単行本の岩波文庫版です。中は大月書店国民文庫版。そして右が、名訳と誉れの高い長谷部文雄訳の青木文庫版です。

ちょっと痛い蔵書の披瀝ですが、今から進めたい起業家として読む「資本論」のバックボーンとしての、私の資本論の履歴書を書いた次第です。

ハイゼンベルクの不確定性原理によって、左翼つまりリベラルに

ついでに。

ほぼ同時期に、ハイゼンベルクの不確定性原理を知り、「科学」の限界、傲慢さを思い知り、もともとが自由に価値観を持っていましたから、マルクスの「資本論」を読んでも、左翼=リベラルになったものの、程度の低いサヨクにはならなかったということです。

『ハイエク 知識社会の自由主義』池田信夫著 これですべての謎が解けた

先だってのSEOセミナーの懇親会の話です。

私は、池田信夫さんは凄い人で、この方のブログにアクセスしたり本を読んだりしないとダメですよ。と言うと、知らない人がほとんどだったので驚きました。

ということで、もう一度、エバンジェリストになっておきます。

  • 池田信夫 blog

実際、このブログはPageRankも6ですし、2008年6月のページビューは145万超とのこと。池田さんは間違いなくアルファーブロガーのひとりです。
ブログに、Amazonへのアフィリエイトリンクを貼っておられますが、その収益は執筆の原稿料以上とのことです(笑

ハイエク 知識社会の自由主義と池田信夫 blog

最近読んだ、池田信夫の『ハイエク 知識社会の自由主義』は私の脳の中を革命してくれました。(以下敬称略)

人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をするとハイエクは考えた。

「不完全な知識にもとづいて生まれ、常に進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を、インターネットは証明したのである。

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

ところで、私にとっての哲学、認識論は、若いころに触れた量子力学(もちろん入門レベル)、とりわけハイゼンベルクの不確定性原理によって大きく修正を余儀なくされました。

極端に言えば、学説とか定説とか、常識とされていることは本当は風説に過ぎず、いつでもくつがえるということ。
さらには、科学的アプローチを進めていけば、その科学を否定しなければならないということ。

真実はそのまま存在していて、科学の進歩とか知識の集積によって、真実が必ず解明されるというのは神話である。
事実というのは存在しない。観察行為そのものが観察対象に干渉することによって、事実は刻々と変化するし、観察者の数だけ事実が存在することになる。

こういった意味で、私の哲学はカントの物自体を背景とした認識論、あるいは懐疑主義に転向していくわけです。廣松渉もその先生のひとりでした。

真実を知ることは絶対にできない、って凄くないですか?

もっとも、まず欧米の合理主義の洗礼を受けて知への信仰が根付いていないと、分からない話ではあるのですが…

『ハイエク 知識社会の自由主義』の第一章は、「帝国末期のウィーン」と題されています。

西洋の没落

ハイエクが生まれたのは一八九九年、帝国が崩壊する世紀末のウィーンだった。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン学派は、西洋音楽の基本構造である調性を否定し、十二音などの新しい音階によって作曲する実験を行った。調性のない不安な音楽は、第一次大戦の荒廃したウィーンの状況を映し出すとともに、古典派以来つづいた西洋音楽の歴史に終止符を打つものだった。

ウィーンは、科学の分野でも二十世紀の方向を決めるような重要な発見を生み出した。シュレーディンガーが波動方程式を発見し、量子力学の基礎を築いたのはウィーンである。同じ時期、ドイツでもハイゼンベルクが不確定性原理を独立に発見し、両者は数学的に同一であることをシュレーディンガーが証明した。

こうして私の中で、学生時代に感染した認識論の限界と懐疑主義、今進めているインターネットでのビジネス、そういった諸々のものが見事につながったのです。つまり、私的には、すべての謎が解けた、そういうことになりました。
そして「偶発性の哲学」として、ほとんどすべての知識や経験がひとつの大系としてまとまったのです。

「哲学」というのは、法則や原理や定理といった生やさしいものではなく、私の経験と知識のすべてを統合し貫徹する絶対的な思想だからです。

なお、「そういった諸々のもの」とは、まず歴史認識です。

マルクス・ヘーゲル的な西欧中心の歴史主義への傾倒と距離感、古事記・日本書紀には書かれていない日本古代史の闇の王朝交代劇、あるいは栗本慎一郎の経済人類学やオーパーツ(OOPARTS)などなど。
西洋の音楽史や絵画史、日本の和歌史など、すべての歴史を持つ事象が「偶発性の哲学」で理解することが可能になったのです。

もちろん、数々のバブルとその崩壊による経済危機についても、ナイトの不確実性やタレブのブラックスワンについても、すんなり入り込めるようになりました。

The Black Swan – 池田信夫 blog

ふつう自然科学や経済学で確率を考える場合、ほとんど正規分布を仮定している。しかし実際に世界を動かしているのは、そういう伝統的な確率論で予測できない極端な出来事――Black Swanである。

著者がBlack Swanを理解していた唯一の経済学者として挙げるのがハイエクだが、実は彼より前にこの問題をテーマにした本がある。Frank Knightの"Risk, Uncertainty, and Profit"(1921)である(ウェブサイトで全文が公開されている)。Knightは、確率分布のわかっているリスクと確率分布を計算する根拠のない不確実性を区別し、リスクは保険などで事務的に解決できるが、不確実性は経営者の決断によって解決するしかないとした。

その後の経済学者は、Knightの議論を「意味論的な思弁」としてバカにし、根拠もなく正規分布を仮定して、壮大な理論体系を構築してきた。

次の記事は、タレブに近況について。

White Swan – 池田信夫 blog

Bloombergによれば、Nassim Talebが顧問をつとめるヘッジファンド、Universal Investmentが今年、50%以上の値上がり益を出した。彼らの使っている投資プログラムBlack Swan Protection Protocolは、out-of-the-moneyのオプションを買うことでリスクをヘッジするものだ。

「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」という投資プログラムって、凄いネーミングです。

SEOと不確実性あるいはブラックスワン

私の運営するSEO塾は、しこしこSEOをやってお気楽に順位アップするだけでなく、アルゴリズムの変更やペナルティの導入による順位変動の検知、分析、リカバリーが売りとなっています。

商用サイトにとって、検索エンジン経由の集客は、ある意味で生命線になっていますから、順位ダウンは死活問題になりかねません。

よって、アルゴリズムによる順位変動があるものとして対策に組み込んで、上位表示の確率が高く、かつペナルティを受けにくいフォーマットを開発しました。
これによって、ある意味でナイトの言うようなリスクを回避できるのです。

ただ、Googleの昔のフロリダ・オースティンや、サンドボックスなどのアルゴリズム変更(もしくはスパムフィルター導入)のときは、数サイトが原因不明の順位ダウンに見舞われました。最近ではYahoo!のトップページダウンペナルティでしょうか。
これは、ナイトの不確実性であり、タレブのブラックスワンと同等のものに当たるでしょう。

タイトルとか見出しタグにキーワードを書くとか、相互リンクや一括登録でたくさんリンクを受けるというようなことは、あるいはその他どんなに高度で他人の知らないテクニックを駆使して上位表示を達成していても、これはホワイトスワンに過ぎず、いつでもブラックスワンという突発的で予測不可能な順位変動は起こりうるし、実際に起こっているわけです。

ということで、私も本業のSEOで「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」を発明しちゃいました(笑
そのさわりの部分は、2008-10-09に開催した「順位変動対策のSEOセミナー」の最後に語っています。

どんな順位変動が起こるかは、予測不可能であり、偶発性から逃れることはできませんが、このいつ起こるか分からない偶発的な順位変動を織り込み済みにするサイトオーナーの事前準備は可能なのです。

新しい商材、事業の計画 – マーケティングやデータの無力

知識を過信していない人、出たとこ勝負の人、その日暮らしの人には関係ないことですが、ある程度の情報を収集して、それなりにビジネスに活かしていこうというタイプの人は、手持ちの知識で将来を設計・デザインすることは不可能であると自覚した方がいいでしょう。

もっとも分かりやすいことは、例えば新しい商品を売り出す場合に、市場はまだ存在しないわけで、マーケティングしようにもデータがそもそもないのです。
もし商品が、従来のものの改良品であれば、既存勢力との戦いになるのですが、画期的であればあるほど、未知の世界に踏み込んだ市場創出といった展開になります。

個人の人生においても、新しい体験や、知らないところに足を入れることはしばしばあるでしょう。

問題は、こういった未知のものに対して、既存の知識や情報、データなどを総動員するような官僚的手法では、必ず失敗する、そこまでいかなくても可能な限り失敗する、そういう認識が必要と言いたいのです。

例えば、ハイエクやナイト、タレブのような一流の経済学者が取り上げるであろう、サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機は、国家や大企業だけに限定されず、規模の大小にかかわらず消費の低迷などでわれわれスモールビジネスの領域も浸食してくるでしょう。

金融機関からの融資が経営の前提になっているところは、既に貸し渋りや貸し剥がしによって、存続が危ぶまれている会社も出はじめています。

だがしかし、経済はゼロ、つまり壊滅するわけではありません。

それでも、人々は細々と、あるいは逞しく、生きていくわけです。

この未曾有の艱難に、青天の霹靂のような運命として泣き言を垂れるのか、千載一遇のチャンスと捉えるのかによって、事業家のその後が大きく変わってくるはずです。

不確実性やブラックスワンを射程に入れたビジネスモデル、ないしは経営方針によってこそ、会社や事業家は生き延びることができるということになるのです。

そもそも起業家そのものが、みずから不確実性やブラックスワンを体現して世に出て行くものなのです。

『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北 康利 著 - 独立自尊のイノベーターの伝記

今日2月3日は福沢諭吉の命日です。

一万円札に肖像が採用されている人物ですね。

お札に載るほど日本の国家権力に貢献したとか、学問のすすめとは何と説教がましいことをとか、お金持ちの子弟があつまる慶応義塾大学の創始者とか、私はまったくいい印象を持っていませんでした。

だがしかし、この本を読んで打ちのめされました。今はわが不明を恥じております。
今なおこの平成日本は、福沢諭吉がやったように、「開化」するべきものではないのかと驚くのです。

福沢諭吉 国を支えて国を頼らず 北 康利 著

この伝記本の著者である北康利氏は、確信犯的に、今の平成日本を福沢諭吉の時代、幕末から明治と同質なものとして描いているはずです。

まず副題、「国を支えて国を頼らず」とは、納税しても補助金をもらわず、公共事業にたかるな、と読めます(笑

そして、目次の第一章は「門閥制度は親の敵でござる」となっており、ゲンコツで頭を殴られた気分になりました。

『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北 康利 著

もうお気づきでしょうが、先のエントリーである「フランダースの犬」ネロになりたくない、ネロにならせたくない。「閥」への憎しみ は、実はこの福沢諭吉伝の書評を書くための前触れだったわけです。

福沢諭吉の父百助は最下層武士の生まれだったために、好きな学問を修めることができず、その父の無念憤懣を母お順から聞かされ育った福沢諭吉は、門閥という生まれによって才能が飼い殺しにされる封建制度を憎み抜いたのです。

無知無学なために権力にいいように翻弄される大衆から離脱するために、日本国民に学問をすすめたのです。

明治政府の官僚を生産する家畜舎となった東京大学に対して、それ以前に、「民」であり「私立」であることを矜持として慶応義塾を創立したのです。

平等を謳いながらもわが子らに与え続けたり、最晩年は朝鮮や中国に対する帝国主義者的な言動が散見されるようですが、自由を追求し続けた福沢諭吉の思想の瑕疵とはならないでしょう。

福沢諭吉の思想からは、門閥という封建制を消滅させたはずの明治維新は、ただ幕府や主君から薩長に変わっただけの藩閥を産み出した「裏切られた革命」のニュアンスがあります。

実際、この年になってはじめて知った、明治政府による福沢への言論弾圧や、兵役なども東大などの官製学校の生徒は免除されたのに、慶応義塾などの私製学校の生徒は課せられたことなど、権力の横暴にはらわたが煮えくり返るほどです。

本書中、福沢が九鬼隆義に語ったとされる言葉が頭にこびりついて離れません。

わが国には、もう十分な数の為政者がいます。むしろ多すぎて困っているくらいです。これからは庶民の教育こそ肝要なのです。

この言によって、九鬼隆義は学校をつくり、実業に乗り出したということです。

福沢諭吉は、大教育家ではありますが、それは実業のための学問を普及させ、権力を評価する知識を伝道し、間違いなくイノベーター、そして起業家だったと言えるでしょう。

福沢諭吉 生誕地の記念碑

物議を醸しているGoogleビューですが、こんな便利な使い方もできます。
下記は、大阪市福島区福島一丁目にある福沢諭吉生誕記念碑です。


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今までも、これからも「スティーブ・ジョブズ」を見殺しにする…

私は、Steve Jobsを非常に尊敬しています。
彼に限らず、Bill Gatesや、AmazonのJeff Bezos、GoogleのLarry PageやSergey Brin、そういった起業家も同様です。

ジョブズを崇拝するエコシステム

今ではなく、少し前に彼の伝記を読んでいる方は、昨今のジョブズの賞賛に異議をとなえることでしょう。

しかし、経営に携わるのであれば、学び、真似ぶのは必須です。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2011年 10/19号:ジョブズ、天才の軌跡

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2011年 10/19号

まあ、買って読んでください。

このブログで記録しておきたいのは、次の記事。

貧困の中で死んだ無名のジョブズたちへ

ジョブズは自ら会社を設立する以外に道はなかった

48ページ

実父はシリア系移民でイスラム教徒、養子に出され、大学中退、ヒッピーで仏教に改宗し、幻覚誘発剤LSDを試した経験もある―まともな人事担当者ならジョブズのような人間は雇わないだろう。こんな経歴を持つ20歳なんて、アップルでさえ雇うかどうか。

よって、「ジョブズは自ら会社を設立する以外に道はなかった」ということです。

サラリーマンは、ジョブズを崇拝する資格がないということでしょう(笑)

生まれながらの社畜のDNAしか持ってない人なら仕方ないのですが、アニマル・スピリットがある人は、自分の中の「ジョブズ」を殺さないように!

Lady Gagaも、ハイスクール時代に、同級生はみんなGoogleに勤めたいと言っていたけど、自分はGoogleで検索される人になりたいと思っていた、と語っています。

三菱やパナソニックに就職したいとこいねがう人は、岩崎弥太郎や松下幸之助にはなれないということです。