平清盛本7冊(謎とき平清盛:本郷和人ほか) 経営・組織運営・マーケティングの前車の轍

清盛は、平氏一門の棟梁となったことも、平氏が政権の中枢に入ったことも、ある意味では偶然の所産です。

ですから、後付けの予定調和的な、歴史解釈は、百害あって一利なし。

むしろ、欧米的な不確実性とか、たまたまとか、まぐれとか、そういったかたちで、清盛の生涯を追いかけたほうがいいでしょう。
そもそも、この時代に活躍する人たちも、偶然に偶然が重なって舞台に上がった者たちばかりです。

平清盛の時代 経営・マーケティングの前車の轍

平清盛と平家一門の繁栄は、当時の常識や習慣を破壊したことによってもたらされています。
そして、破壊によって、あるいは破壊し尽くせなかったことによって、滅亡したと言えるでしょう。

時代は、一瞬は清盛を必要としたけど、要らなくなったら使い捨てした。これが真実かもしれません。

農 対 商

清盛は、武力によって政権中枢に入り込んだのですが、経済的には農よりも商に重きをおいた可能性があります。

藤原氏・摂関家も、荘園などの農ベースの経済力が権力の基盤となっていました。
また、源氏を私兵とすることによって、武力をそなえていました。

逆に、同じ武力を頼みにしても、土地支配による農産物の税収を経済基盤とする、源氏とその取り巻きによって、武家政権を樹立できたということになるでしょう。

国内 対 国際

清盛は、中国(宋)との貿易を積極的にすすめ、博多止まりの航路を、瀬戸内海を通行可能にして、福原(神戸)まで拡張しています。
福原を首都にしようとした経緯もあります。古い都では古いことを続けざるをえないので、開けた国際的な海洋貿易の都市としようとしたのかもしれません。

知性も教養もない野蛮な源氏の木曾義仲に、福原は焼き払われてしまいました。

そして、日本史で毎度毎度出てきては消されるのが、国際派にして改革派。
ことごとく打倒されるか、退場して、国内派が権力を掌握しています。

蘇我入鹿や田沼意次などは、慣れ親しんだ価値観を否定されることにおびえる者たちには、いなくなってもらうべき奇人変人だったのでしょう。

海洋貿易では坂本龍馬以上の実績ですし、農ではなく商で経済力を高めたこと、伝統や因習に縛られなかったことは、織田信長のような革命家の風貌さえあります。

王家・公家・武家

以下の年表を見ても、清盛の出世と平家一門の政権掌握のパターンは、藤原氏の模倣に過ぎません。
(清盛前史で見たように、不比等や仲麻呂も、人臣初の皇后や太政大臣と批判されています)

時代が、武力を要求したので、たまたま当時の日本最高の武力を持っていたから、中央に進出できたと思えます。

当時の不穏な時代、そしてアンチ藤原摂関家というトーンで、政治における武力の必要性をもっとも意識したのは、王家の白河院ではないでしょうか?
つづいて、公家に対する死刑を復活させた信西が、王家を栄えさせるため、公家の力をそぎ落とし、武家を利用したと思われます。

平氏と源氏

武力としては源氏・平氏がいたものの、経済力では正盛以来平氏が圧倒的だったので、白河院も鳥羽院も平氏をひいきにしたと言えます。

平氏は京都・中央で活躍し、源氏はせいぜい摂関家の私兵で、義朝が鳥羽院に認められたことを例外として、多くは地方で暴れ回っていました。

なお、源氏は八幡太郎義家を祖とする流れで、義家の子の義親―為義―義朝―頼朝は、実朝(鎌倉三代将軍)で断絶します。
別の義家の子の義国の流れが、鎌倉幕府を支え、室町幕府の将軍と守護大名を輩出します。

源氏には、親子兄弟血縁での内部抗争が多く、もとから力ずくで解決する、殺してでも排除するというDNAも感じなくもないですね…

武家政権

基本的には、武家とか源平とかに引っ張られると、清盛の革命性が薄まります。

たしかに頼朝に先行する武家政権の端緒ではあったかもしれませんが、商業や貨幣による人と物との流動性、さらには海洋貿易による国際感覚など、現代に通じる清盛の功績が光を失ってしまうでしょう。

この時の日本に必要だったのは、武家政権ではなく、公家・藤原摂関家の政治支配の終焉だったと思えるのです。
軍隊の支配ではなく、軍事力による治安秩序維持を背景とした日本統治。
明治政府中世版のようなものでもよかったのかもしれません。

平清盛 年表

キーワードは、やはり外戚政治です。
また、仲麻呂のように軍事による決定力をもっていました。

問題は、(a)藤原氏の模倣の外戚政治、ただし、そもそも(b)武家の身内が天皇の妻になること、天皇の母になることが、奇跡だったわけです。

そこまで上り詰めたことは、平清盛の偉大な力でしょう。

西暦 年齢 ことがら 王家・ほか
1118 1 清盛誕生 (白河院政)
1119 2   後の崇徳天皇誕生
1123 6   崇徳天皇即位
1127 10   後の後白河天皇誕生
1129 12 従五位下 白河院没。鳥羽院政
1139 22   後の近衛天皇誕生(母美福門院)
1142 25   近衛天皇即位
1143 26   後の二条天皇誕生(父後白河/美福門院養子)
1146 29 安芸守  
1147 30 祇園騒乱事件  
1149 32 異母弟家盛急死  
1151 34   以仁王誕生(父後白河)
1153 36 父忠盛没。平氏棟梁  
1155 38   近衛天皇没。後白河天皇即位
1156 39 保元の乱。播磨守 鳥羽上皇没
1158 41 大宰大弐 二条天皇即位。後白河院政
1159 42 平治の乱  
1160 43 正三位 源頼朝伊豆配流
1161 44 権中納言 後白河院政停止。二条親政
義妹滋子(後白河后)後の高倉天皇出産
1164 45   後の六条天皇誕生(父二条天皇)
1165 48 権大納言 二条天皇没。六条天皇即位
1166 49 東宮大夫。内大臣  
1167 50 従一位太政大臣  
1168 51   六条天皇没。高倉天皇即位
1171 54 娘徳子 高倉天皇入内
1176 59 建春門院滋子没
1177 60 鹿ヶ谷事件  
1178 61 徳子 後の安徳天皇出産
1179 62   後白河院政停止
1180 63 安徳天皇即位
頼朝挙兵。以仁王敗死(このころ『梁塵秘抄』)
1181 64 清盛死去  
1183     『千載和歌集』院宣
1185   壇ノ浦の合戦
時子、安徳天皇、三種の神器の天叢雲剣とともに入水
1192     後白河法皇没

源平合戦のときに、藤原定家が「紅旗征戎吾が事に非ず(戦は自分には関係ないよ)」と日記『明月記』に書いていますが、後白河法皇も、わが生き死にがどうなるやもしれない時期に、『梁塵秘抄』や『千載和歌集』を撰じているのは凄まじいですね。

ここにこそ、日本のエスタブリッシュメントに、「雅」を感じます。

平家の家紋

平氏の家紋は、揚羽蝶です。

家紋のEPS素材を公開してます。検索、ダウンロード無料。
(使わせていただきます)

平氏の家紋は丸に揚羽蝶

なかなか、クールなデザインですね。

平清盛 ― この男日本を変える

平清盛 ― この男日本を変える

結局、信長は「天下布武」と、明確に軍事力で圧倒して日本を支配するというイデオロギーがあったのですが、清盛は平氏の武力の時代的な意味を理解していなかったというところですね。
この本を読んだ感想として…

経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書: 山田 真哉

経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書: 山田 真哉

この本によって、海洋貿易の振興や、貨幣経済の浸透など、清盛の経済的な功績を教えてもらいました。

坂本龍馬は、薩摩資本の亀山社中、土佐資本の海援隊の、雇われCEOに過ぎませんでしたが、平清盛は日本国のトップとなって、経営したわけです。

図解 中世の革命児 平清盛の真実 元木泰雄

図解 中世の革命児 平清盛の真実 (朝日オリジナル): 元木泰雄

この本は、今のNHK大河ドラマ『平清盛』を見るには必須です。

というか、これを読み込んでいないと、この時代の人は軸もなくぶれた毎日を送っていますから、それこそサイコロの目のように、昨日の友は今日の敵、登場しては消え、地位が上がっては失脚し、生まれては死んでいくような。

上図のように、重大なエピソードごとに、敵と味方を短評つきで図解しています。
そして、全ページの左端に、清盛の年齢も示されています。

とても便利な、清盛図鑑です。

当然、白河院以降の日本史は、すごろく化していることも視覚的に分かってきますよ。

平清盛と後白河院 元木 泰雄

平清盛と後白河院 (角川選書): 元木 泰雄

これは、上記の図解版とはまったく違って、文字ばかりで(笑)、あまりにも登場人物が多く、姓が同じで、名も通字だらけなので、疲れます。
平氏と源氏は、かならず混乱しますね。

また、平家物語や、鎌倉室町に都合のいい資料の「アンチ平家・清盛」を、文献を引っ張ってきてくつがえしていくようなテーマですから、もとから、元の資料も、反論する文献も知らない私たちにとっては、敷居が高いようです。

歴史に裏切られた武士 平清盛 上杉和彦

歴史に裏切られた武士 平清盛 (アスキー新書): 上杉和彦

NHK大河と同じ見方、清盛が武家政権の口火を切った、ということです。

先駆者ゆえに、アンシャン・レジームの破壊に没頭して、次の時代の創造まで手が回らなかったということでしょうか。

手柄を、頼朝にさらわれたというか…

平清盛―「武家の世」を切り開いた政治家 上杉 和彦

平清盛―「武家の世」を切り開いた政治家 (日本史リブレット人): 上杉 和彦

上記の本と同じ作者です。

内容はほぼ同じですが、同じ本を二度読むよりは、同じ作者の別の本を読むほうが、理解は深まります。

謎とき平清盛 本郷 和人

謎とき平清盛 (文春新書): 本郷 和人

謎とき平清盛 (文春新書): 本郷 和人

これが、最後の、そして最高のお勧め本です。

作者は、NHK大河ドラマの時代考証者ということです。

武家が主役で、公家がいて、だから天皇家も「王家」がいいと提案されたそうです。
実際、この用語は、非常に分かりやすく、自分の頭も整理しやすくなりました。

正盛から忠盛と、先代がいてこその清盛と、平家一門のある程度の繁栄は見込めたという状況。
平家一門の安泰や結束力に対して、源氏では畳の上で死んだ人が少ないと(笑)
裏付けるように、源氏の者たちは、地方では暴力的に略奪をする狼藉者も多く、弓矢にたけたつわものも数知れずと、勇猛な話に事欠きません。

さて、院政の強大化、摂関家の頼長と忠通兄弟の私闘も重なって、ついに「350年ぶりの死刑の復活」。
のみならず、政敵を追い落とすために、武力を持って討つということが当たり前になります。

せいぜい、呪ったでしょ?と陰謀を仕掛け失脚させるか、人知れず毒薬などで暗殺する程度だったのに、平和ボケした時代をぶん殴るように、血で血を洗う正面からの武力闘争が幕を開けたのです。

後白河と信西と清盛、時代が求めた怪物たちがそろって、日本史は大きく転換したということのようです。
信西は、後白河・王家の完全政治のために、公家・摂関家を失墜させ、武家・平氏の軍事力をバックボーンに、理想の王国を構築しようとしたのでしょう。

また、日本全体で、反平家というより反既存政治の反乱が自然発生的に起こっており、源氏はその一部であること。
頼朝が挙兵できたのも、一度平氏に敗戦して再起できたのも、父義朝が開拓した関東の武士との人脈が大きかったこと。

こうして、政治、経済、軍事をまとめて、日本史の転換点で、平清盛が何者であったのか、そして平家一門の繁栄と滅亡など、「謎」がとかれていく。

ぜひお読みください。

NHK大河ドラマ『平清盛』の理解の助けになるとともに、事業を興すこと、続けること、会社をつぶさないことなど、非常にお役に立てることと思います。

平清盛前史 王家と公家と武家 藤原摂関家や源氏の一族の内部抗争の偶然から

NHK大河ドラマのミーハーとして、ようやく平清盛とその時代がよく見えるようになってきました。

勧善懲悪はもとより、予定調和、必然という言葉は意味を失います。
とくに『平家物語』や鎌倉室町政権時代の文献の、平氏・清盛悪人史観は、後世の目を曇らせてしまいます。

平清盛は、当時の全国の混乱によって政権交代が期待された時代の、転換期の人格化と言えるでしょう。
その意味で、日本の歴史が必要とした人物だったのです。

ところで、NHKの時代考証を担当された方に倣って、王家・公家・武家という用語を使います。

公家:藤原不比等・仲麻呂 皇后 太政大臣

公家の筆頭 藤原氏の繁栄のキーワードは、外戚政治。
娘が天皇の妻になること、またその娘が天皇の母になること。

この独特な政権掌握の手法は、平安末期まで踏襲され続けます。

藤原氏の黎明期を、簡単に年表にしました。

西暦 ことがら 王家・ほか
659 不比等誕生 (斉明天皇)
672   壬申の乱
697   文武天皇即位
不比等女宮子 文武夫人に
701 後の聖武天皇誕生(父文武/母宮子)
大宝律令
706 藤原仲麻呂誕生  
718 後の孝謙天皇誕生(父聖武/母光明子)
720 不比等没  
729 光明子 皇后に※
737 藤原四兄弟病死  
749 仲麻呂政治・軍事を掌握 孝謙天皇即位
757 養老律令
758 淳仁天皇即位(仲麻呂推挙)
760 仲麻呂太政大臣※  
光明子(光明皇太后)没
このころ、仲麻呂一族の官位独占。道鏡の台頭
764 仲麻呂(恵美押勝)の乱

※王家以外では初ということになります。

不比等には、天智天皇の落胤という説があります。

仲麻呂は、政治のみならず軍事を掌握。一族が官位を独占。王家以外で初の太政大臣に。
称徳(孝謙の重祚)・道鏡の政治主導に、武力を頼んで反旗を翻し、朝敵となって一族は滅亡。

仲麻呂のキーワードは、外戚政治と軍事力をベースとした政権掌握、一族の官位独占、そして反乱と一族滅亡。

公家:藤原良房 摂政・関白 忠実・忠通・頼長

866年、藤原良房が王家以外で初の摂政に。

なお、年少の天皇には摂政、成人後の天皇には関白がおかれるようになります。

摂政:帝に代わって、政(まつりごと)を摂る
関白:帝の言葉を、関(あずか)り白(もう)す~先の関白を太閤と呼ぶ

白河院政期、藤原忠実と、長男忠通、次男頼長の権力闘争もあって、摂関家は政治力を失っていきます。
ちなみに、保元の乱によって頼長は落命。

摂関政治が制度疲労を起こしていました。

王家:後三条天皇・白河天皇

平安末期に、藤原氏を外戚としない後三条天皇が誕生。

アンチ摂関家勢力の支援による親政によって、藤原氏の政治力が弱体化、さらに荘園整理令によって藤原氏の経済力もダメージを受けます。

後三条の子、白河天皇によって親政は継続拡大し、さらには摂関家の混乱と年少天皇の即位によって、「治天の君」による独裁的な院政がしかれます。

摂関家の私兵に近い源氏を遠ざけ、北面の武士などとして平氏を重用。

キーワードは、アンチ摂関家、そして不穏な時代(地方の武装民、僧の強訴など)の軍事力評価。

王家:後白河天皇

失礼ですが、後白河にはポリシーはなかったと見うけられます。
自己の権力維持のみが目的であって、天下国家のデザインはまったくなかったと言えるでしょう。

そして、信西というブレーンもあって、政治力は軍事力となってしまいます。
政権の決定力は武力であると政治が変質し、平氏と清盛は暫定的に政権の中枢を占め、そして武士の時代を準備することになります。

武家:源義家とその子孫 義国・為義・義朝

源義家は、鎌倉幕府の開祖 源頼朝、室町幕府の開祖 足利尊氏、の祖先です。

父頼義の前九年、義家の後三年により、武名はとどろきます。

基本的に、義家も含めて源氏は摂関家の私兵に近く、その流れで義家の嫡流の為義は保元の乱で、藤原頼長についたようです。

義家の嫡男にして、為義の父、義親は狼藉が過ぎて、白河院の命によって平正盛(清盛の祖父)に討たれます。
これも、王家による公家・摂関家の武力を削ぐ意図として考えられるようです。

義家に粗暴過ぎると愛想を尽かされた子の義国は、関東の一部に勢力を持ちます。
後の、山名、今川、細川、畠山、新田、足利の祖でもあり、武家の本流となったのでしょうか。

関東を巡って、摂関家の私兵である為義と、院に仕える子義朝に確執があったとも伝えられます。また義朝は嫡男でもなかったという説も…
これが、保元の乱の、親子敵味方となるベースかもしれません。

なお、頼朝の母の由良御前の身分と人脈によって、義朝は院に仕えることができたし、頼朝も三番目の男子ながら嫡男になったと思われます。

武家:平正盛・忠盛 院に奉仕する武力と経済力

清盛の祖父の正盛ですが、白河院の政治にピントが合ったということでしょう。いろいろ重用されます。
摂関家や源氏が、やや力を失っていたときに、間隙を縫ったということになります。

清盛の父の忠盛は、白河院、鳥羽院に、武家として仕え、貴族として位階を上昇させます。
他方で、密貿易を含んで、経済的基盤を拡張しています。

こうして、清盛の先代と先々代によって、軍事力と経済力が整い、政治力とは言えないが官位を上げることに成功します。

平清盛がやったことと、やろうとしたこと

まあ、基本的に平清盛がやったことは、不比等・仲麻呂がやったことの再現と思われます。
もっと辛辣に言えば、藤原氏の劣化コピー、イミテーションであったということになります。

ただし、別エントリーとなりますが、清盛がやろうとしたことに意味を付与すれば、信長級の革命です。

社長が学ぶ清盛CEO

さて、社長ブログとしての、平清盛に学習するべき経営者の心得は、

市場を支配している上位企業の模倣をすることによって、同じように上位に食い込むことはできるでしょう。
ただし、何を真似るかが重要です。
さらには、真似るにも、いろいろな条件がつきます。

既存の勢力がやや弱ったときに、先行者を模倣し、必要とされる付加価値をつけた商品ならば、ヒットを飛ばすことができるということでしょう。

平氏が滅亡したことに心が奪われ、まして盛者必衰といった役に立たない標語で平清盛を闇に葬っては、あまりに惜しいわけです。

勝ちパターンは、前の勝者の模倣から。
こういうことで結んでおきます。

成毛真のマーケティング辻説法 マイクロソフトで活躍し、そして見限った理由など

久方ぶりの書評にして、三週間ぶりのエントリーです…

今、積んどく本も10冊を超え、いつも読書するリビングの書棚の数年前の本たちを廃棄して、片付けたところです。

そして、アマゾンで買ってすぐ読んだ本、というか、成毛眞氏の言説を聞きたくてたまらなくなったのです。

成毛真のマーケティング辻説法

成毛真のマーケティング辻説法 (日経ビジネス人文庫) (文庫) 成毛 真 (著), 日経MJ (著)

成毛真のマーケティング辻説法 (日経ビジネス人文庫): 成毛 真, 日経MJ: 本

この本は、2002年6月刊行の『成毛式 実践マーケティング塾』を改題し、巻末に「いま、『フツーの生活』が新鮮」を追加したものということです。

この文庫の奥付は、2005年3月1日。

つまり、ドッグイヤーの時代からすれば、かなり古いものとなりますね。

私が買った本は、第1刷発行のままですから、売れてもいない?

まあ、成毛流の瘴気たっぷりで奇矯な話は耳目を集めず、さらに、事業を進めるうえで大いに役立つ言説は、広まらない方がこちらにとっても好都合、ということにしておきましょう(笑

それにしても、マイクロソフト帝国のダース・ベイダー的役割を果たしたはずですが、それを勲章や恩給として一生食っていくというような愚者ではありません。

それどころか、年10%以上の成長を続けることは困難とMSを見限って、日本では異常な分野の、投資・コンサルティング業をはじめています。

また、同じようにアメリカMBAを振り回すような個人輸入の軽薄な評論家の類とは一線を画す本物の経済人で、日本市場をしっかり見据えて、外国の真似をするとか、私はMSでこうやった勝ったとか、鼻につく言説もまったくありませんでした。

マーケティングとは市場(マーケット)を攻略するための意志や戦略を指す。

こういった言葉から、はじまります。

これを読み飛ばすと、この本を読む価値もなければ、読む資格もないと言えるでしょう。

マーケティングを、販売促進の手段、つまりは戦術とは見なしていないわけです。「戦略」であり、方針決定の「意志」ということです。

最初から、常識をひっくり返されますね。

マイクロソフトにあってアップルにないもの

ボーイングやクライスラーは大統領をセールスマンに使った。

ははは。

これに対して、マイクロソフトは「政府の保護や後ろ盾なしで」世界的企業になった、と賞賛しています。

日本企業も、政府の庇護を受けず、政府に邪魔されず、頑張れ!

使い勝手で先行していたアップルコンピュータにはなく、マイクロソフトにあったもの。それこそがマーケティングだったと、私は思う。その中心となったのが、ビル・ゲイツの右腕であり、ビルとは大学時代からの友人でもあるスティーブ・バルマー(現CEO)だ。

私も、一ユーザーとしては、コンシューマーとしては、消費者としては、Macの方がいいです。

しかし、仕事となるとWindowsをベースにせざるをえません。

そして、検索会社としては、Googleはともかく、Yahoo!よりはMicrosoftの方が将来性があると、ずっと思ってきました。

なぜなら、Yahoo!にはなく、Microsoftにあったマーケティングを感じていたからです。
実際は、とにかく後ろ指を指されようがどうしようが、もの凄い市場支配欲と、営業への注力の姿勢ですね。

Windows 95のマーケティング費用は、当時の金額で200億円ほどだったらしいです。

辻説法の数々

さて、以下簡単に成毛氏のマーケティング論をピックアップしてみましょう。

保守的な人材は遠慮なく切る。

イエスマンに囲まれた経営者は相手にしない。

マーケティングは戦争だ。
失敗したら命を取られる覚悟でやれ。
同じ失敗を繰り返す幹部を追放しろ。

何が達成できたら、今やっているマーケティングは勝ちなのか?

後半の、日本市場を対象とした、成毛流マーケティング論は、かなり意外で、MS育ちを微塵も感じさせない凄いローカル色豊かでした…

あとは、買って読んでくださいね。

いやいや、自己啓発などせずに、今のままを続けて私の邪魔をしないでください(笑

その時歴史は動かなかった!?:鈴木 眞哉 (著) 後付けご都合史観の戒め

ブログに投稿しているヒマはないほど忙しいのですが、とりあえず大事なことなので…

ここで紹介するのは、題名からも想像できるとおりNHKの「その時歴史が動いた」の批判本です。

とは言うものの、歴史通というか歴史ファンというか、日本史に興味のある社長や管理職の方にはかなり耳の痛い本です。

つまり、常識とか通説とか、あるいは評判のビジネス本とか経営ノウハウとか、それらを鵜呑みにしてはいけませんぜと。

もっとも、はなっからわが祖国の歴史とか、信長・秀吉・家康の天下人の業績には関心のない輩は論外ですが…

その時歴史は動かなかった!?:鈴木 眞哉 (著)

その時歴史は動かなかった!?:鈴木 眞哉 (著)

まず、この『その時歴史は動かなかった!?』は、題名どおりのNHKの超人気番組の批判に徹しています。

目的は、NHKが流布する間違った日本史、および歴史観を攻撃することですから、否定したあとに別の解答があるというわけでもありません。

そのため、批判は理解できても、では真実は何かと釈然としないものが全編を覆っています。

しかし、今まで自分が信じてきたものが、ひっくり返されることは、間違いありません。

だからこそ、歴史好きの社長や管理職の方にお勧めするのです。

そのような方は、趣味道楽の蘊蓄程度なのか、はたまた経営や組織運営、マーケティングなどに活かすのか、特に戦国武将の生き様や、戦(いくさ)の巧拙には多大な関心を持っているはずです。

で、私は、見事に自分の定見をくつがえされて、さらには、経営や事業などを再認識させられた次第です。

歴史は常に勝者の側から書き替えられる

まず、歴史には「たられば」のない、一回こっきりのエピソードの積み重ねです。

これを、偶然とかまぐれの産物と客観化できればいいのですが、必然を読み込むと、いつも勝者の側の言い分だけを鵜呑みにしてしまいます。

ですから、勝ち組が自分たちの都合のいいように歴史を書き替えるだけでなく、後世の者も同じように後付けで、まるでシナリオが用意された芝居のように受け取ってしまいます。

権謀術策もなければ、臥薪嘗胆で捲土重来を期す、それらは後世の作り話ばかりのようです。
後付けの予定調和、ご都合主義…

鎌倉幕府もできちゃった政権で、そもそも「幕府」という武士政府を表す用語も江戸時代の発明らしいです。

また、武家政権は将軍職でないとダメとか、将軍は源氏から選ばれるとか、全部違うみたいです!

驚きですよね!?

桶狭間も、川中島も、三方原も、長篠も、賤ヶ岳も、関ヶ原も…

ということで、歴史が動く、その時はなかったということです。

日本の戦争史は昔から常に弓や礫(つぶて)、鉄砲などの「遠戦志向」

この本は、平将門・平清盛からはじまり、田原坂・二百三高地で終わっています。

見出しの「遠戦」という言葉は知っていました?

引用してみます。

「はじめに」で、私は「日本人の戦い方はどういうものだったのか」ということを考えてきたといった。そのため、この本では、平将門の乱から西南戦争まで、『その時歴史が動いた』のなかでも、そういうことに関連した事件を数多く取り上げる結果となった。

 それらの事件は起きた時代が違うだけでなく、中身や影響もさまざまだが、その根底にある戦闘思想のようなものは一貫している。それは遠戦志向主体だったということである。といってもわかりにくいかもしれないが、弓矢や石・礫、さらには鉄砲といった遠戦兵器、つまり飛び道具に依存する傾向が強かったということである。

これは、驚天動地の見解ではありませんか!?

もちろん、刀や槍のような白兵も用いられたが、飛び道具にくらべたら依存度はずっと低かった。まして、白兵を振るって接戦格闘することこそ戦闘の本質であるとか、そうしなければ戦闘の決着がつけられないといった白兵主義の思想のようなものは、かつて存在したことがない。

商品開発とか、経営戦略とかはともかく、日本の企業の営業では、ほとんどが「白兵主義」ではないでしょうか?

これは、歴史上は、つまり書き残された戦争の記録では、二百三高地以前にはまったくなかったことというのです。

日露戦争勝利の結果(代償)として、第一次世界大戦後に欧米列強が白兵戦から空中戦へと戦争を転換させ切ったにもかかわらず、日本だけは銃剣突撃、白兵による肉弾格闘が支配的となってしまったと。

皮肉なことに、この時だけは歴史が動いた、と言えるそうです。

『その時歴史は動かなかった!?:鈴木 眞哉 (著)』に学ぶこと

自分が信じていることが、事実と違うかもしれないと疑えよ、ということ。

新聞やテレビは言うにおよばず、ビジネス書でも、先輩経営者でも、その発言や情報は、正しいとは限らない、むしろ大きく違っている、ということ。

自分自身の成功体験さえも、その総括を間違えば、その後の経営や事業を失敗しかねない、ということ。

ということは、あらゆる事実や真理の認識や判断に問題があるかもしれない、ということになります。

恐ろしいことですね。

項羽と劉邦 司馬遼太郎著 兵に将たるもの、将に将たるもの

私は、学生時代は文学や芸術、哲学や思想関連の本を、サラリーマンになってからはビジネス書を、退職してから今日まではICT(情報通信技術)関連情報の書籍を、良く買って読んでいます。

まず、重要な箇所には傍線を引く習慣ですから、図書館で借りることはできません。それに、小市民的ですから、本は買って読みたいです。他人の手垢も気持ち悪いですし…

今ざっと数えたら、2000冊程度はありそうです。漫画本を除いて(笑

未読のものもありますが、さらには読んだ記憶はあっても内容はすっかり忘れているものばかりで、これに驚きますね。

ただ、内容は覚えていないのですが、感動した記憶だけは残っています。

今日はその中の一冊を。

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』です。

時代の変化を読めないチョンマゲ・二本差しを嗤う司馬遼太郎

司馬遼太郎の本は、NHKの大河ドラマの原作となることが多いですね。

その中で、大学時代に先輩から教えてもらったものが、『花神』でした。

NHK大河の放送と私の読書と、どちらが先かは忘れました。

花神とは花咲爺さんのことです。
明治維新の過程で、臼となり灰となった革命志士たち先達の業績を継いで、軍事の大家である大村益次郎が倒幕の花を咲かせるというわけです。

大河ドラマ「花神」は、これに『世に棲む日日』から吉田松陰や高杉晋作などのエピソードを交えることによって、非常にボリュームのある名作となったようです。

司馬遼太郎の幕末小説の特徴は、チョンマゲ・二本差しの武士が、いかに愚かで絶滅種であるか、アイロニーたっぷりに書かれていることですね。

伝統墨守とか、旧態依然とか、武士の面子とか、お家とかが大事で、そのために人を殺し自分も殺しているわけです。

娯楽小説ながら、哲学的なメッセージを盛り込んでいた、すぐれた作家です。

「兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦」が『項羽と劉邦』のテーマ

司馬というペンネームは、もちろん『史記』を著した中国の司馬遷から取っています。

そしてとうとう、司馬遷の『史記』に想を得て、『項羽と劉邦』を書いたのです。

司馬遼太郎著『項羽と劉邦』

私は、大学に入ったばかりのときは、金銭的理由から文庫本ばかり買っていたのですが、先ほどの先輩から「蔵書」という趣味を倣い(笑 できるだけ単行本を買うような習慣に変わりました。

もちろん『項羽と劉邦』は、文庫化する前でしたので単行本で全三巻をそろえました。

項羽と劉邦 奥付

奥付を見ると「昭和五十五年」とありますから、このブログの読者の中には生まれる前と言うこともありえますね…

この大作のテーマのひとつは、『史記』の淮陰侯列伝にある劉邦と項羽に対して韓信が評価した言葉にあります。

淮陰侯とは韓信の最後の地位身分です。かつては国士無双とよばれ、劉邦の中国統一、漢帝国を興す大立役者も、中途半端な野心がたたって降格させられ、最後は処刑されてしまいます。

韓信は、武将としての能力も高いのですが、とりわけ名声や処遇にこだわり、そのため項羽の元を去り劉邦の傘下となった経緯があります。

韓信曰く
劉邦は、せいぜい十万人程度の兵を指揮する将軍でしかない。それ以上は無理だ。
自分(韓信)は、百万でも千万でも兵は多ければ多いほどよい。
では、十万の兵の将軍でしかありえない劉邦が、なぜ、百万千万の兵の将軍である韓信を従えることができるのか?
劉邦は、兵に将たる能力はない。しかし将に将たる能力がある。

つまり、兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦、というのが、『項羽と劉邦』のテーマのひとつでもあるのです。

まあ、課長の器と社長の器、というところでしょうか。
近いところでは、内閣官房長官の器と、総理大臣の器、でしょうか(笑

ちなみに、私は高校二年生のときに覚醒して、司馬遷『史記』全巻の日本語訳も買って読みました。

『史記』淮陰侯列伝では、韓信が項羽を「匹夫の勇」と評しています。

ところで、韓信理論によると、課長で手柄を立てて部長になる、部長で手柄を立てて取締役になる、ということはありえなくなります。
島耕作は、日本型企業の伝統的な出世パターンではあっても、彼が経営する初芝電器産業はグローバル企業にはなれるわけがないということになります。

だから、アメリカはヘッドハンティングを含めて、いきなり、余所から連れてきた人や、平社員を、上のポストに就けるということになるのでしょうかね。

日本型のエスカレーター型昇進システムでは、下位の器の人材を上位に就けて、組織が機能不全になりやすいとか…
これを「項羽型人事」と呼びましょうか(笑

任天堂の再逆転も、日本的で慣習的な、非韓信的な、項羽的な、社長交代ではなかったところにあるのかも。

『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北 康利 著 - 独立自尊のイノベーターの伝記

今日2月3日は福沢諭吉の命日です。

一万円札に肖像が採用されている人物ですね。

お札に載るほど日本の国家権力に貢献したとか、学問のすすめとは何と説教がましいことをとか、お金持ちの子弟があつまる慶応義塾大学の創始者とか、私はまったくいい印象を持っていませんでした。

だがしかし、この本を読んで打ちのめされました。今はわが不明を恥じております。
今なおこの平成日本は、福沢諭吉がやったように、「開化」するべきものではないのかと驚くのです。

福沢諭吉 国を支えて国を頼らず 北 康利 著

この伝記本の著者である北康利氏は、確信犯的に、今の平成日本を福沢諭吉の時代、幕末から明治と同質なものとして描いているはずです。

まず副題、「国を支えて国を頼らず」とは、納税しても補助金をもらわず、公共事業にたかるな、と読めます(笑

そして、目次の第一章は「門閥制度は親の敵でござる」となっており、ゲンコツで頭を殴られた気分になりました。

『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北 康利 著

もうお気づきでしょうが、先のエントリーである「フランダースの犬」ネロになりたくない、ネロにならせたくない。「閥」への憎しみ は、実はこの福沢諭吉伝の書評を書くための前触れだったわけです。

福沢諭吉の父百助は最下層武士の生まれだったために、好きな学問を修めることができず、その父の無念憤懣を母お順から聞かされ育った福沢諭吉は、門閥という生まれによって才能が飼い殺しにされる封建制度を憎み抜いたのです。

無知無学なために権力にいいように翻弄される大衆から離脱するために、日本国民に学問をすすめたのです。

明治政府の官僚を生産する家畜舎となった東京大学に対して、それ以前に、「民」であり「私立」であることを矜持として慶応義塾を創立したのです。

平等を謳いながらもわが子らに与え続けたり、最晩年は朝鮮や中国に対する帝国主義者的な言動が散見されるようですが、自由を追求し続けた福沢諭吉の思想の瑕疵とはならないでしょう。

福沢諭吉の思想からは、門閥という封建制を消滅させたはずの明治維新は、ただ幕府や主君から薩長に変わっただけの藩閥を産み出した「裏切られた革命」のニュアンスがあります。

実際、この年になってはじめて知った、明治政府による福沢への言論弾圧や、兵役なども東大などの官製学校の生徒は免除されたのに、慶応義塾などの私製学校の生徒は課せられたことなど、権力の横暴にはらわたが煮えくり返るほどです。

本書中、福沢が九鬼隆義に語ったとされる言葉が頭にこびりついて離れません。

わが国には、もう十分な数の為政者がいます。むしろ多すぎて困っているくらいです。これからは庶民の教育こそ肝要なのです。

この言によって、九鬼隆義は学校をつくり、実業に乗り出したということです。

福沢諭吉は、大教育家ではありますが、それは実業のための学問を普及させ、権力を評価する知識を伝道し、間違いなくイノベーター、そして起業家だったと言えるでしょう。

福沢諭吉 生誕地の記念碑

物議を醸しているGoogleビューですが、こんな便利な使い方もできます。
下記は、大阪市福島区福島一丁目にある福沢諭吉生誕記念碑です。


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『男組』全巻電子書籍購入 神竜剛次の絶望 流全次郎の希望

iPad 2をゲットしたこともあって、少年時代に熱中したマンガ『男組』全巻をeBookJapanで購入しました。
すでにアナログの単行本の方は廃刊?になっており、入手難でしたから、電子書籍は嬉しいことです。

神竜剛次は闇、流全次郎は光 大衆は豚、老害日本

これからも、日本の電子書籍は、Appleの独占商法や対抗する出版社の利権や著作権などがからんで、紆余曲折をたどるでしょう。

男組全25巻

原作は、『美味しんぼ』の雁屋哲です。

主人公は、流全次郎。物語の後半部で、真の悪者は戦後日本の支配者「陰の総理」ですが、全編を通じての敵役は神竜剛次です。

彼の哲学がもの凄い…

神竜剛次の大衆豚哲学大衆豚哲学大衆豚哲学

そして、大衆という大人の豚に喜んで仲間入りしようとする若者を全否定する神竜剛次ですが、敵前逃亡を繰り返す若者には流全次郎も批判的です。

「今、戦わない人間が、あとで戦うわけがない!!」

大衆は戦わず言い訳ばかり

神竜剛次は、陰の総理によって与えられた権力を使って陰の総理を倒そうとし、そして流全次郎に敗れ絶命します。

神竜と流は革命家流全次郎の思想は大衆ではなく神竜剛次に近い?

物語は、高校生と殺人者・傭兵や警察などとの戦争状態、荒唐無稽です。

最後は流全次郎が単身で陰の総理を倒しに行きます。

聖書からの引用、「一粒の麦」
個人が、生命や財産にこだわり続けたらそのまま、命を投げ出し既得権や目先の利益を放棄してこそ、多くの人々が救われるということです。

エディプス・コンプレックス

美味しんぼの海原雄山を見ても分かるとおり、雁屋哲にはエディプス・コンプレックスがあるようです。

それは、現在の悲惨な状況を生み出している先行する世代、老人が支配する権力への憎悪でしょうか。

そして、その老人たちに気に入られようとする若者にも嫌悪しているようです。

また、神竜も流も長男であるはずなのに、剛次や全次郎という名前もいぶかしい。次世代が前世代を打ち倒すべし、という意味でしょうか…

次は同じ原作者の『野望の王国』を買おうと思っているところです。