イヤな客には売るな!:石原 明(著) 百式管理人ブログのプレゼントでゲット

営業に身をおいたものなら知っていなければモグリと言われる石原明さんの『営業マンは断ることを覚えなさい』。

百式管理人のライフハックブログで、【読者プレゼント】 イヤな客には売るな!に応募していただいたのが、同じ石原明さん著の↓この本です。

イヤな客には売るな!:石原 明(著)

冒頭から凄い言葉が、

なぜ、あなたの会社が儲からないのか。

それは、「売ってはいけないお客様」に売っているからです。

イヤな客には売るな!:石原 明(著)

この本は、

セールスの本です。販売や営業について独創的なことが書いてあります。

また、マーケティングの指南書です。

それどころか、経営の書でもあるのです。

そして、裏側からのブランド構築のマニュアルともなっています。

客・お客・お客様と「顧客」の間の、深い溝高い壁

「顧客」の定義は、

顧客とは、あなたの会社の商品やサービスをいつも喜んで買ってくれる人、新しい商品が出たらそれも喜んで買ってくれる人、そればかりか、あなたの会社や商品を他の人に紹介してくれる人のことです。

「顧客」は、購入者や消費者とはかなり違っていますね。

特に、マーケットの小さい日本で成功するためには、この「顧客化」が確立していないとダメ。会社は成長していかないでしょう。

つまり、購入者や消費者、客・お客・お客様ではなく、「顧客」に売らなければならないのです。

では「顧客化」はどうやるのか?

  1. 集客
  2. 見込み客のフォロー
  3. 販売
  4. 顧客化

のフローをあげています。

そして、売ってはいけない「イヤな客」の定義とは、

人間的に問題のある人とか、やたらと文句の多い人、不当な要求ばかりする人や、主義が合わない人、本音で付き合えない人もそうですし、長いお付き合いをしてくれそうもない人や、こちらの誠意に感謝の念を抱いてくれない人、それに、サービスに対してお金を払うと言うことを理解していない人等々。

だから、お客に売れても、ちっとも会社は儲からないのです。

目の前の売上や利益を欲しがった、「できちゃった販売」「できちゃった営業」「できちゃった経営」ではダメと言うことです。

イヤな客と縁を切ると会社はどう良くなるのか、「顧客化」のシステムはどうやってつくるのか?

それは、本書を買って続きを読みましょう。

実際、ブランドとか、コンシューマーとカスタマーとか、そういったカタカナを並べるのではなく、日本的な組織が取り組みやすい、しかも数々の実績をともなって、成功事例を交えながら、具体的に、結果としてのブランド企業になる方法論が書かれているのです。

かなり前に『営業マンは断ることを覚えなさい』を読んで衝撃を受けましたし、そういう考えで事業に取り組んできました。

今回の本は、さらに会社を挙げて、経営者が取り組むべきものとして、しかもシンプルに、まとめられています。

凄いです。

私も、すぐに実践をはじめました。

参考:経営コンサルタント:石原明の経営のヒント

イノベーションのジレンマ:クレイトン・クリステンセン著

私が会社をつくるときに覚悟を決めた本です。

イノベーションのジレンマ:クレイトン・クリステンセン著

イノベーション(innovation)とは、革新とか新機軸とか訳される、ビジネス用語です。

イノベーションのジレンマ クレイトン・クリステンセン著

イノベーターでない人は、
起業してはいけません。
経営してはいけません。
意志決定してはいけません。

イノベーションには、持続的イノベーションと、破壊的イノベーションがあります。
前者は改良や改善、後者は革命、と言えるかもしれません。

どの市場でも、破壊的イノベーションをもたらす新興企業が、持続的イノベーションに長けた超優良企業を潰しているそうです。

クレイトン・クリステンセンはこう書きます、

優れた経営こそが、業界リーダーの座を失った最大の理由である。

恐ろしいでしょう?

優れた経営だから、ダメなのです。

顧客の意見に耳を傾け、顧客が求める製品を増産し、改良するために新技術に積極的に投資したからこそ、市場の動向を注意深く調査し、システマティックに最も収益率の高そうなイノベーションに投資配分したからこそ、リーダーの地位を失ったのだ。

絶望するでしょう?

優れた企業だから、ダメなのです。

これまで以上に綿密に計画し、懸命に努力し、顧客の意見を受け入れ、長期的な視点に立つことは、すべて問題を悪化させることになる。

気が狂いそうでしょう?

優れた方針だから、ダメなのです。

ごく少数の例外を除いて、主流企業が迅速に破壊的技術で地位を築くことに成功したのは、経営者が自律的な組織を設立し、破壊的技術の周辺に新しい独立事業を立ちあげる任務を与えたときだけである。

今までの主役は、次の主役には絶対になれず、それどころか、新しい主役の足を引っ張り、新しい劇がはじまることを認めず、洗練され、慣れ親しんだ古い劇を演じ続けようとするのです。

新しい市場につながる破壊的技術を扱う際には、市場調査と事業計画が役に立った実績はほとんどない。

新しい市場がどの程度の規模になるかについて専門家の予測は必ず外れる。

投資のプロセスで、市場規模や収益率を数量化してからでなければ市場に参入できない企業は、破壊的技術に直面したときに、身動きが取れなくなるか、取り返しのつかない間違いをおかす。

未知の技術であり、新しい市場ですから、既存のデータは存在しないのです。

ということは、まぐれ当たりを期待して、えいやっと、やってみるだけということです。

だから特に起業家は、博打打ち、ギャンブラーでないとやっていけないわけです。

本質的に、官僚体質、役人根性の人間は、起業でも経営でも、無能ということになるでしょうね。

だからといって、夢とかロマンと、破壊的イノベーションとは、まったく違うものですから、勝つまで止めない、負けそうだと傷口が広がらないうちに撤収する、そういった野武士的な戦いのセンスが必要でしょう。

私が、覚悟を決めて会社をつくったというのは、そういうことです。

ある意味で、売上を高め、会社を大きくするまでは、マンティコアのように食い尽くして図体をでかくするということでしょうか…

どのみち、最後に勝つ経営者はそういった人種ですから、食わなければ食われるということですよ。

すでに、戦争ははじまっているのです。

この本を読めば、
自分が勝ち残れる経営者か、そうでないかが分かるでしょう。あるいは生き残る方法が見つかります。
自分の会社が伸び続けるか、突然死するか、予想がつくかもしれません。
Panasonicの苦悩や、SONYの低迷も理解できるでしょう。
日本自体が、長期衰退傾向にあると、身の毛がよだつでしょう。

村上春樹『羊をめぐる冒険』 同時代の大江健三郎『同時代ゲーム』、井上ひさし『吉里吉里人』、丸谷才一『裏声で歌へ君が代』

村上春樹の『1Q84』が品切れ・増刷の大ベストセラーになっていますね。

私の村上春樹の読書体験は、『羊をめぐる冒険』(1982年)にはじまります。

国家や権力や体制をめぐる小説たち

村上春樹『羊をめぐる冒険』

この『羊をめぐる冒険』を読んで村上春樹にはまり、急いで同じ"僕と鼠ものシリーズ"あるいは"羊三部作"といわれる『風の歌を聴け』(1979年)と『1973年のピンボール』(1980年)を買って読みました。

当然、このシリーズの第4作目、完結編?の『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)を買ったことは言うまでもありません。
ただし読み終えることはできませんでした。
あまりにも、前三作とは異質だったからです。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)にも挫折しました…

よって、『ノルウェイの森』(1987年)は、恋愛小説という売りだったこともあり、買う気をなくし、それ以降は村上春樹は好きな作家でなくなってしまいました。

村上春樹『風の歌を聴け』村上春樹『1973年のピンボール』
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

この村上春樹の『羊をめぐる冒険』が登場した1980年前後には、不思議なことに、国家とか権力とかそういったものが題材となった小説が日本で数多く出版されています。

国家や権力や体制をめぐる小説たち

その中で、私が持っている本は、次のとおりです。

  • 大江健三郎『同時代ゲーム』1979年刊
  • 井上ひさし『吉里吉里人』1981年刊
  • 村上春樹『羊をめぐる冒険』1982年刊
  • 丸谷才一『裏声で歌へ君が代』1982年刊

大江健三郎は嫌いな作家なのですが、『同時代ゲーム』は心に残る小説です。今は、忘れ去られた作品になったみたいですが…

「経済は感情で動く – はじめての行動経済学」マッテオ・モッテルリーニ著

ああ、Webサイトを作り直さなければならないなぁ。

そういった深刻な反省を呼ぶ本です。

マッテオ・モッテルリーニ著『経済は感情で動く – はじめての行動経済学』

私の第1のバイブルは、はじめの一歩を踏み出そう 、そして第2のバイブルが、ECサイト4モデル式 Google Analytics 経営戦略 が第2のバイブルに と書きました。

今度の本は、バイブルというよりはビジネスの思考と行動のマニュアルといった趣です。

経済は感情で動く - はじめての行動経済学 マッテオ・モッテルリーニ著

今が旬?の、行動経済学であり、ニューロマーケティングにつながる本となります。

ハイゼンベルクの不確定性原理ならびに量子物理学 の歴史的科学的意味が分かっている場合は、この本に書いてあることを、しっかり受け止めることができるに違いありません。

つまり、お古い経済学や投資理論が前提としている、合理的に考え決断し行動する人間=ホモ・エコノミクスという前提が根本的に崩壊しているという認識からスタートしなければならないからです。

そして、対象となる人間が不合理であると認めるだけでなく、理論そのものも従来型の合理主義ではダメということです。つまりは、小賢しい理屈では通用しないということです。

同じ商材を扱っているように見えても、サイトのつくり方や、そもそもサイトのオーナーが誰かによって、同じ消費者が違う購入パターンになる可能性があるということが、深読みすれば書いてあります。

有名である、信用がある、評判がいい、というサイトと、そうでないサイトでは、訪問したコンシューマーの考え方や買い物のプロセスが、まったく別物になると。

よって、先のエントリーにも書きましたが、Yahoo!検索で上位表示されればとか、楽天で出店すればとか、そういったことが大きく間違っていることに気づくことになるのです。

SEOやら、ショッピング・モールやら、それがどのビジネスにも等しく同じように助けになるわけではない、またオーナーの努力の方向性も、何に向けて頑張るのか様々のバリエーションがある、ということです。

この本は読み物風にはなっていますが、行動経済学が取り扱う個々の事例について、数多くのサンプル的設問を用意し、その回答パターンという実例を用意しながら、不合理な人間の選択肢にうかがえる法則性を導き出しています。

つまり、消費者行動論体系 と合わせて「マーケティング理論」を自分のものにしたならば、というより自家製で自サイト用のマーケティング理論によって、かなりの確率で売れるWebサイトを構築できると期待できるのです。

それもあって私は、メインの受注サイトも作り直すべきと深刻に受け止めている次第です。

超訳『資本論』的場昭弘著 起業家として読む「資本論」序章

私は、起業し、1円株式会社とはいえ社長になっています。

今また逆に世の中では、サヨクが、「蟹工船」でワーキングプアの自分たちになぞらえ、また「資本論」を読んで、資本主義の搾取を暴き、階級闘争を目論む者も出てきているようです。

私は、実は「資本論」を読むにいたったと同じ理由で、社会主義が大嫌いです。

今後展開する予定の、起業家として読む「資本論」の結論は、計画経済および官僚主義の批判であり、全体主義の拒絶であり、消費者不在の労働運動の否定です。
そしてマルクスの誤りは、西洋知識人が誰でも陥った「科学」に対する信仰だったのです。

超訳『資本論』的場昭弘著

超訳『資本論』的場昭弘著

では、マルクスの「資本論」の前に、レジュメのような本を紹介しておきましょう。

超訳『資本論』: 的場 昭弘

マルクスの「資本論」では、商品の交換によって、ある商品が貨幣の形態を取るようになり、この貨幣が資本へと転化する、と論理を進めます。
これは、非常に弁証法的な展開で、知的な満足感を得ることができます。

なおマルクスは、人類の歴史として市場社会や資本主義が登場し、資本家は資本の人格化であり、極端に言えば歴史の必然性によって、搾取をさせられている、資本家という役割をこなしている、という認識を示しています。

つまり、剰余価値にせよ、階級闘争にせよ、善悪の彼岸にあるということですね。倫理とか道徳とか、あるいはヒューマニズムを超克した、歴史主義と言えるでしょうか。
これが分かっていないサヨクが非常に多いです。

商品・貨幣・資本と市場社会 そして「科学」

さて、的場昭弘氏は、はしがきでこう述べています。

遺伝子たる商品が残っていれば、また同じような資本主義が復活します。

語るに落ちた、と言えば失礼でしょうが、サヨク的に搾取をともなうと見なされる資本主義は、市場経済と不即不離であり、「資本論」の冒頭にあるように、商品は貨幣を生み貨幣は資本に変わるわけですから、話はややこしくなってきます。

つまり、資本主義を廃止するには、資本家を打倒するのではなく、市場社会を壊滅させなければならない、こういう結論になりかねないのです。

そしてさらに、生産と消費の矛盾、その暴力的な解決が恐慌です。

となると、市場経済を廃止し、生産と消費の矛盾を解消するために、計画経済なるものが後世に発明されることになります。

頭のいい人、よく分かっている人、指導者が無知な大衆を導くわけです。

これが、党とか官僚とか全体主義の温床となる理論的根拠なんでしょうね。

社会主義に限らず、政府による規制または保護も、似たり寄ったりです。正しいことを考えるという人が、君臨するからです。
だから、自由の人ハイエクは、ケインズを批判したんでしょう。

分かっている人が、分かっていない人に干渉する正当性が、「科学」という正しい結論を出せるという信仰なんですね。

一度サヨクは、剰余価値を発生させない企業を作ってみたらどうですかね。やれるものなら…

資本家の誕生 本源的蓄積

労働力の商品化によって、不払い労働が発生し、それが剰余価値の正体であり、搾取の源泉とされます。

なぜ労働力の商品化が起こるのか、なぜ賃労働を行うのか、それは生産手段が資本家に奪われているからだと。

資本主義が回り出すと、資本と労働の関係は再生産されますから、資本家は一生資本家、労働者は一生労働者となり続けます。

では、資本主義のはじまりはどうだったのか?

それが、本源的蓄積と呼ばれるもので、例えば農民から暴力的に農地を奪うことだったと、「資本論」では解説されます。

そのほかの資本家誕生の例として、

疑いえないことは、多くの小さな同職組合の親方と多くの独立手工業者、あるいは賃金労働者さえも、小資本家となり、そして、賃金労働者の搾取のゆっくりとした拡大と、それに照応した終わることのない蓄積とともに、完全な資本家になったのだということだ。(「資本論」からの引用部分)

資本家がどこから来たかは、不明確です。ただ言えることは、機を見るに敏なるものにはチャンスがあった。

ということですから、今も同じように起業すればいいんじゃないでしょうか?

事業を考えたり、商材を販売したり、労を惜しまなければ、嫌なこと不得意なことでも死ぬ気で取り組めば、全員とは言いませんが道は開けると思うのですが…

なお本源的蓄積も、歴史的事実は「資本論」の記述とはかなり違っているというのが、現代の認識だそうです。

インテリゲンチアだった青年時代の「資本論」

カール・マルクス「資本論」岩波書店 向坂逸郎訳

私が、起業家として読む「資本論」を展開する自信や根拠は、次のとおりです。

「剰余価値」とか、「搾取」とか、「階級闘争」とか、サヨク用語を使って私を批判しても無駄です。

私は、そこら辺のサヨクとは比べものにならないくらい、マルクスに、また「資本論」に打ち込んでいます。

大学に入ってすぐ、大きく影響を受けた先輩T氏と一緒に、毎週土曜日午後から夜間にかけて読書会をやりました。

その時に、私が用いたテキストが下記、岩波書店・向坂逸郎訳の単行本でした。

お見せできませんが、赤い傍線や、書き込みや、付箋などでドロドロになっています。

第一外国語の専攻がドイツ語だったので、当時東ドイツ共産党(ドイツ社会主義統一党)のマルクス=レーニン主義研究所が刊行した、ドイツ語原書も入手しました。

下図は、ドイツ語原書の中表紙です。

カール・マルクス「資本論」ドイツ語版 カール・マルクス「資本論」ドイツ語版 中表紙

そして、「資本論」第一巻に限って、マルクスは英語版とフランス語版を出版しています。

カール・マルクス「資本論」英語版 カール・マルクス「資本論」フランス語版 邦訳

左が英語版の原書、右がフランス語版の日本語訳です。

そして日本語訳は、向坂訳単行本だけでなく、何度も読み返す意味も兼ねて、文庫版を3種類仕入れました。

カール・マルクス「資本論」邦訳 岩波文庫版 カール・マルクス「資本論」邦訳 国民文庫版 カール・マルクス「資本論」邦訳 青木文庫版(長谷部文雄訳)

左は単行本の岩波文庫版です。中は大月書店国民文庫版。そして右が、名訳と誉れの高い長谷部文雄訳の青木文庫版です。

ちょっと痛い蔵書の披瀝ですが、今から進めたい起業家として読む「資本論」のバックボーンとしての、私の資本論の履歴書を書いた次第です。

ハイゼンベルクの不確定性原理によって、左翼つまりリベラルに

ついでに。

ほぼ同時期に、ハイゼンベルクの不確定性原理を知り、「科学」の限界、傲慢さを思い知り、もともとが自由に価値観を持っていましたから、マルクスの「資本論」を読んでも、左翼=リベラルになったものの、程度の低いサヨクにはならなかったということです。

『ハイエク 知識社会の自由主義』池田信夫著 これですべての謎が解けた

先だってのSEOセミナーの懇親会の話です。

私は、池田信夫さんは凄い人で、この方のブログにアクセスしたり本を読んだりしないとダメですよ。と言うと、知らない人がほとんどだったので驚きました。

ということで、もう一度、エバンジェリストになっておきます。

  • 池田信夫 blog

実際、このブログはPageRankも6ですし、2008年6月のページビューは145万超とのこと。池田さんは間違いなくアルファーブロガーのひとりです。
ブログに、Amazonへのアフィリエイトリンクを貼っておられますが、その収益は執筆の原稿料以上とのことです(笑

ハイエク 知識社会の自由主義と池田信夫 blog

最近読んだ、池田信夫の『ハイエク 知識社会の自由主義』は私の脳の中を革命してくれました。(以下敬称略)

人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をするとハイエクは考えた。

「不完全な知識にもとづいて生まれ、常に進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を、インターネットは証明したのである。

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

ところで、私にとっての哲学、認識論は、若いころに触れた量子力学(もちろん入門レベル)、とりわけハイゼンベルクの不確定性原理によって大きく修正を余儀なくされました。

極端に言えば、学説とか定説とか、常識とされていることは本当は風説に過ぎず、いつでもくつがえるということ。
さらには、科学的アプローチを進めていけば、その科学を否定しなければならないということ。

真実はそのまま存在していて、科学の進歩とか知識の集積によって、真実が必ず解明されるというのは神話である。
事実というのは存在しない。観察行為そのものが観察対象に干渉することによって、事実は刻々と変化するし、観察者の数だけ事実が存在することになる。

こういった意味で、私の哲学はカントの物自体を背景とした認識論、あるいは懐疑主義に転向していくわけです。廣松渉もその先生のひとりでした。

真実を知ることは絶対にできない、って凄くないですか?

もっとも、まず欧米の合理主義の洗礼を受けて知への信仰が根付いていないと、分からない話ではあるのですが…

『ハイエク 知識社会の自由主義』の第一章は、「帝国末期のウィーン」と題されています。

西洋の没落

ハイエクが生まれたのは一八九九年、帝国が崩壊する世紀末のウィーンだった。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン学派は、西洋音楽の基本構造である調性を否定し、十二音などの新しい音階によって作曲する実験を行った。調性のない不安な音楽は、第一次大戦の荒廃したウィーンの状況を映し出すとともに、古典派以来つづいた西洋音楽の歴史に終止符を打つものだった。

ウィーンは、科学の分野でも二十世紀の方向を決めるような重要な発見を生み出した。シュレーディンガーが波動方程式を発見し、量子力学の基礎を築いたのはウィーンである。同じ時期、ドイツでもハイゼンベルクが不確定性原理を独立に発見し、両者は数学的に同一であることをシュレーディンガーが証明した。

こうして私の中で、学生時代に感染した認識論の限界と懐疑主義、今進めているインターネットでのビジネス、そういった諸々のものが見事につながったのです。つまり、私的には、すべての謎が解けた、そういうことになりました。
そして「偶発性の哲学」として、ほとんどすべての知識や経験がひとつの大系としてまとまったのです。

「哲学」というのは、法則や原理や定理といった生やさしいものではなく、私の経験と知識のすべてを統合し貫徹する絶対的な思想だからです。

なお、「そういった諸々のもの」とは、まず歴史認識です。

マルクス・ヘーゲル的な西欧中心の歴史主義への傾倒と距離感、古事記・日本書紀には書かれていない日本古代史の闇の王朝交代劇、あるいは栗本慎一郎の経済人類学やオーパーツ(OOPARTS)などなど。
西洋の音楽史や絵画史、日本の和歌史など、すべての歴史を持つ事象が「偶発性の哲学」で理解することが可能になったのです。

もちろん、数々のバブルとその崩壊による経済危機についても、ナイトの不確実性やタレブのブラックスワンについても、すんなり入り込めるようになりました。

The Black Swan – 池田信夫 blog

ふつう自然科学や経済学で確率を考える場合、ほとんど正規分布を仮定している。しかし実際に世界を動かしているのは、そういう伝統的な確率論で予測できない極端な出来事――Black Swanである。

著者がBlack Swanを理解していた唯一の経済学者として挙げるのがハイエクだが、実は彼より前にこの問題をテーマにした本がある。Frank Knightの"Risk, Uncertainty, and Profit"(1921)である(ウェブサイトで全文が公開されている)。Knightは、確率分布のわかっているリスクと確率分布を計算する根拠のない不確実性を区別し、リスクは保険などで事務的に解決できるが、不確実性は経営者の決断によって解決するしかないとした。

その後の経済学者は、Knightの議論を「意味論的な思弁」としてバカにし、根拠もなく正規分布を仮定して、壮大な理論体系を構築してきた。

次の記事は、タレブに近況について。

White Swan – 池田信夫 blog

Bloombergによれば、Nassim Talebが顧問をつとめるヘッジファンド、Universal Investmentが今年、50%以上の値上がり益を出した。彼らの使っている投資プログラムBlack Swan Protection Protocolは、out-of-the-moneyのオプションを買うことでリスクをヘッジするものだ。

「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」という投資プログラムって、凄いネーミングです。

SEOと不確実性あるいはブラックスワン

私の運営するSEO塾は、しこしこSEOをやってお気楽に順位アップするだけでなく、アルゴリズムの変更やペナルティの導入による順位変動の検知、分析、リカバリーが売りとなっています。

商用サイトにとって、検索エンジン経由の集客は、ある意味で生命線になっていますから、順位ダウンは死活問題になりかねません。

よって、アルゴリズムによる順位変動があるものとして対策に組み込んで、上位表示の確率が高く、かつペナルティを受けにくいフォーマットを開発しました。
これによって、ある意味でナイトの言うようなリスクを回避できるのです。

ただ、Googleの昔のフロリダ・オースティンや、サンドボックスなどのアルゴリズム変更(もしくはスパムフィルター導入)のときは、数サイトが原因不明の順位ダウンに見舞われました。最近ではYahoo!のトップページダウンペナルティでしょうか。
これは、ナイトの不確実性であり、タレブのブラックスワンと同等のものに当たるでしょう。

タイトルとか見出しタグにキーワードを書くとか、相互リンクや一括登録でたくさんリンクを受けるというようなことは、あるいはその他どんなに高度で他人の知らないテクニックを駆使して上位表示を達成していても、これはホワイトスワンに過ぎず、いつでもブラックスワンという突発的で予測不可能な順位変動は起こりうるし、実際に起こっているわけです。

ということで、私も本業のSEOで「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」を発明しちゃいました(笑
そのさわりの部分は、2008-10-09に開催した「順位変動対策のSEOセミナー」の最後に語っています。

どんな順位変動が起こるかは、予測不可能であり、偶発性から逃れることはできませんが、このいつ起こるか分からない偶発的な順位変動を織り込み済みにするサイトオーナーの事前準備は可能なのです。

新しい商材、事業の計画 – マーケティングやデータの無力

知識を過信していない人、出たとこ勝負の人、その日暮らしの人には関係ないことですが、ある程度の情報を収集して、それなりにビジネスに活かしていこうというタイプの人は、手持ちの知識で将来を設計・デザインすることは不可能であると自覚した方がいいでしょう。

もっとも分かりやすいことは、例えば新しい商品を売り出す場合に、市場はまだ存在しないわけで、マーケティングしようにもデータがそもそもないのです。
もし商品が、従来のものの改良品であれば、既存勢力との戦いになるのですが、画期的であればあるほど、未知の世界に踏み込んだ市場創出といった展開になります。

個人の人生においても、新しい体験や、知らないところに足を入れることはしばしばあるでしょう。

問題は、こういった未知のものに対して、既存の知識や情報、データなどを総動員するような官僚的手法では、必ず失敗する、そこまでいかなくても可能な限り失敗する、そういう認識が必要と言いたいのです。

例えば、ハイエクやナイト、タレブのような一流の経済学者が取り上げるであろう、サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機は、国家や大企業だけに限定されず、規模の大小にかかわらず消費の低迷などでわれわれスモールビジネスの領域も浸食してくるでしょう。

金融機関からの融資が経営の前提になっているところは、既に貸し渋りや貸し剥がしによって、存続が危ぶまれている会社も出はじめています。

だがしかし、経済はゼロ、つまり壊滅するわけではありません。

それでも、人々は細々と、あるいは逞しく、生きていくわけです。

この未曾有の艱難に、青天の霹靂のような運命として泣き言を垂れるのか、千載一遇のチャンスと捉えるのかによって、事業家のその後が大きく変わってくるはずです。

不確実性やブラックスワンを射程に入れたビジネスモデル、ないしは経営方針によってこそ、会社や事業家は生き延びることができるということになるのです。

そもそも起業家そのものが、みずから不確実性やブラックスワンを体現して世に出て行くものなのです。

項羽と劉邦 司馬遼太郎著 兵に将たるもの、将に将たるもの

私は、学生時代は文学や芸術、哲学や思想関連の本を、サラリーマンになってからはビジネス書を、退職してから今日まではICT(情報通信技術)関連情報の書籍を、良く買って読んでいます。

まず、重要な箇所には傍線を引く習慣ですから、図書館で借りることはできません。それに、小市民的ですから、本は買って読みたいです。他人の手垢も気持ち悪いですし…

今ざっと数えたら、2000冊程度はありそうです。漫画本を除いて(笑

未読のものもありますが、さらには読んだ記憶はあっても内容はすっかり忘れているものばかりで、これに驚きますね。

ただ、内容は覚えていないのですが、感動した記憶だけは残っています。

今日はその中の一冊を。

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』です。

時代の変化を読めないチョンマゲ・二本差しを嗤う司馬遼太郎

司馬遼太郎の本は、NHKの大河ドラマの原作となることが多いですね。

その中で、大学時代に先輩から教えてもらったものが、『花神』でした。

NHK大河の放送と私の読書と、どちらが先かは忘れました。

花神とは花咲爺さんのことです。
明治維新の過程で、臼となり灰となった革命志士たち先達の業績を継いで、軍事の大家である大村益次郎が倒幕の花を咲かせるというわけです。

大河ドラマ「花神」は、これに『世に棲む日日』から吉田松陰や高杉晋作などのエピソードを交えることによって、非常にボリュームのある名作となったようです。

司馬遼太郎の幕末小説の特徴は、チョンマゲ・二本差しの武士が、いかに愚かで絶滅種であるか、アイロニーたっぷりに書かれていることですね。

伝統墨守とか、旧態依然とか、武士の面子とか、お家とかが大事で、そのために人を殺し自分も殺しているわけです。

娯楽小説ながら、哲学的なメッセージを盛り込んでいた、すぐれた作家です。

「兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦」が『項羽と劉邦』のテーマ

司馬というペンネームは、もちろん『史記』を著した中国の司馬遷から取っています。

そしてとうとう、司馬遷の『史記』に想を得て、『項羽と劉邦』を書いたのです。

司馬遼太郎著『項羽と劉邦』

私は、大学に入ったばかりのときは、金銭的理由から文庫本ばかり買っていたのですが、先ほどの先輩から「蔵書」という趣味を倣い(笑 できるだけ単行本を買うような習慣に変わりました。

もちろん『項羽と劉邦』は、文庫化する前でしたので単行本で全三巻をそろえました。

項羽と劉邦 奥付

奥付を見ると「昭和五十五年」とありますから、このブログの読者の中には生まれる前と言うこともありえますね…

この大作のテーマのひとつは、『史記』の淮陰侯列伝にある劉邦と項羽に対して韓信が評価した言葉にあります。

淮陰侯とは韓信の最後の地位身分です。かつては国士無双とよばれ、劉邦の中国統一、漢帝国を興す大立役者も、中途半端な野心がたたって降格させられ、最後は処刑されてしまいます。

韓信は、武将としての能力も高いのですが、とりわけ名声や処遇にこだわり、そのため項羽の元を去り劉邦の傘下となった経緯があります。

韓信曰く
劉邦は、せいぜい十万人程度の兵を指揮する将軍でしかない。それ以上は無理だ。
自分(韓信)は、百万でも千万でも兵は多ければ多いほどよい。
では、十万の兵の将軍でしかありえない劉邦が、なぜ、百万千万の兵の将軍である韓信を従えることができるのか?
劉邦は、兵に将たる能力はない。しかし将に将たる能力がある。

つまり、兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦、というのが、『項羽と劉邦』のテーマのひとつでもあるのです。

まあ、課長の器と社長の器、というところでしょうか。
近いところでは、内閣官房長官の器と、総理大臣の器、でしょうか(笑

ちなみに、私は高校二年生のときに覚醒して、司馬遷『史記』全巻の日本語訳も買って読みました。

『史記』淮陰侯列伝では、韓信が項羽を「匹夫の勇」と評しています。

ところで、韓信理論によると、課長で手柄を立てて部長になる、部長で手柄を立てて取締役になる、ということはありえなくなります。
島耕作は、日本型企業の伝統的な出世パターンではあっても、彼が経営する初芝電器産業はグローバル企業にはなれるわけがないということになります。

だから、アメリカはヘッドハンティングを含めて、いきなり、余所から連れてきた人や、平社員を、上のポストに就けるということになるのでしょうかね。

日本型のエスカレーター型昇進システムでは、下位の器の人材を上位に就けて、組織が機能不全になりやすいとか…
これを「項羽型人事」と呼びましょうか(笑

任天堂の再逆転も、日本的で慣習的な、非韓信的な、項羽的な、社長交代ではなかったところにあるのかも。

任天堂 “驚き”を生む方程式:井上 理(著)

私にとっては待ちに待った任天堂本です。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

世襲とか創業家とか ゲーム機トップシェア奪還の任天堂という事例でも取り上げていますが、任天堂という会社は非常に謎めいた、興味深い大企業です。

そして、時価総額も3兆6500億円で、日本で7番目なんですね。

任天堂の時価総額は日本7位 パナソニックやシャープ、ソフトバンクやヤフーよりも上

パナソニックや、ソニーよりも上なんです。

そのソニーのPlayStationおよびPlayStation 2によって市場から見放され、いわば失われた10年を経た任天堂が、いかにしてWiiやDSを市場投入して、ゲーム機市場でトップを奪還できたのか?

気になって気になって、仕方ありませんでした。

上記記事をエントリーしたときには、究極のイノベーションとしての「世襲」の否定こそが、任天堂の復活の秘密だったのでは、という結論でした。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

任天堂の2008年3月期の、売上高は1兆6700億円、営業利益は4800億円だとのことです。
社員数が3800人で、一人あたりの売上高が4.4億円、営業利益は1.3億円と。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

この会社は、結局は花札・トランプの会社を、一代で世界的なゲーム機・ソフト企業へと育て上げた、山内溥氏のカリスマに追うところが大でしょう。

しかも、何度も潰れかかっていますから、社名の「天に任す」というように、運も味方したと。

カリスマ経営者には、カリスマ部下がつきものです。
横井軍平、宮本茂、岩井聡…

また、スペック志向ではない、ローテクの枯れた技術の水平思考で、次々とヒット商品を生み出しています。

そして、任天堂はよそと違う製品を送り出すことが至上なのですが、会社そのものがよそと違っています。

任天堂は、稟議を通すためのプレゼンテーションや交渉、社内調整など煩わしい作業を、あまり要求しない会社なのだと、岩田は言う。

「例えば宮本が、会社からどうやって予算を取るかということに、時間やエネルギーの半分を使わなきゃいけないとしたら、今と同じだけのクリエイティブのパワーをこの年齢で維持できていないと思う。その価値を(宮本は)若いころにわかりました、ということなんですね」

さて、23条もあるファーストリテイリングの経営理念に対して、任天堂には会社としての文章をまったく発信していないそうです。

先代の社長であった山内溥氏は、企業理念という言葉を嫌っていて、明文化したものが必要な経営者は大成しないと考えていたと。

岩田聡現社長いわく、

「社是、社訓がないことが、任天堂イズムなんですね。だって、社是、社訓のとおりに動いていたら人々(お客さん)は飽きてしまうから」

よそと違うことをしなさい、人は同じことを続けたら飽きてしまう、環境の変化に対して柔軟でありなさい、過去に成功した方法が未来も通じるとは思ったらいけない……。

要は独創的であれと言われているのに、こうしなさいという文書を忠実に守るのはおかしい。という岩田の理解だ。

ユニクロは社長・経営者の創造物ですが、任天堂は企業という生命体になっているようです。

両社は両極でもありますが、共通しているのは、勝つべくして勝ったとは思っていないことです。

凡人が勘違いしてはいけませんが、出てくる言葉は、まぐれとか運とか、そういったものです。

ユニクロ・ファーストリテイリングにしても任天堂にしても、凄い経営者、凄い会社です。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本:郷原信郎著 コンプライアンスの暴走

「思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本」で郷原信郎氏は、いかに日本がとんでもない錯誤に満ちた世界になっているか、反省を促しています。

『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』郷原信郎著

著者の郷原信郎氏は、かつて例の東京地検特捜部にも籍を置いた、日本のコンプライアンス問題の第一人者である弁護士です。

その方が、特に経済に関する無知不勉強な検事や裁判官を批判し、暴走するメディアや大衆の「法令順守」病に冒された思考停止に警鐘を鳴らしています。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本:郷原信郎著

「不二家」や「伊藤ハム」の事件に当事者として携わった人間として、著者は騒動の愚かさを指摘しています。
発表しないことを「隠蔽」として騒ぎまくったメディアの、国民の安全ではなく視聴率だけを追求したというバカさ加減が分かります。

姉歯事件をきっかけとして建築基準法が改正され、これ自体が官製不況をもたらしました。
誰も彼もが、建築士や建設会社やマンション販売会社を叩いて潰して社会的生命を終わらせたのですが、地震が来たら壊れそうな建物はいくらでも残っており、そしてそれらは建設当時の法律には違反していないということで放置されているのです。

法律を守って、国民の安全は守られず。これが今の日本です。

ライブドアの堀江貴文、村上ファンドの村上世彰、ブルドックソースの企業防衛判決など、経済をめぐる検察と裁判所の無知や不勉強さを指摘し、さらには日本の経済活動に致命的なダメージを与えたと。
また、広島のアーバンコーポレイションが破綻して地元は大変なんですが、この裏に直前にアーバンに融資したBNPパリバ証券の不正な「スワップ契約」が株主に致命的な損害を与えたかもしれない事件は、放置されているそうです。これは、堀江や村上どころではない、大犯罪の可能性もあると。

裁判員制度や、社会保険庁の年金記録漏れ問題も、テレビや新聞とは大きく異なった見解を示しています。

終章の、今の馬鹿げた日本の法令順守・思考停止社会から脱する提案は、少し説得力がありませんが、それはわれわれがなすべき役割でしょう。

結論としては、みのもんたや古舘伊知郎、宮崎哲弥などの電波芸者に騙されず、自分で情報を集め、自分で考え、自分で判断するしかない。そういう世の中にしよう、ということになりそうです。

  • 参照:思考停止社会 – 池田信夫 blog

思考停止、判断停止、疑念停止こそがブランドの正体?

非常に飛躍した意見です。

マーケティングにおいて、ブランドのあるなしで決定的に違うというのが、理論的な帰着です。

では、ブランドが果たす役割、消費者の購買行動に、どう働きかけているのか? が肝となるでしょう。

ブランドがあることによって、消費者は、商品の機能や他商品との違いなどを既に知っており、また、会社についても商品の開発力や販売の確実性などを自明のものとするわけです。

ECサイトにおいては、商品の紹介文と実際に届いたものとの落差を心配せずに済みますし、また振り込んでも届かないといった不安もぬぐい去られています。

ということは、ブランドがあれば、商取引において、疑いの心が生じないと言えるのではないでしょうか?

ですから逆に、ネガティブな悪評判が経てば、上記の郷原信郎氏が指摘するような、思考停止したこれでもかという大衆の攻撃が起こっているわけです。

つまり、ポジティブな評判としてのブランドは、消費者の思考停止を招いていて、良いとか悪いとかの判断も停止しており、詐欺ではなかろうかという疑念も湧かないようになるのです。

だから、ブランドがあれば、売れるのです。

私が究めたところのブランドの正体とは、消費者の購買において、思考停止、判断停止、疑念停止するだけの確固とした評判や信頼や確立すること、となります。

いかがでしょうか?

経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書: 山田 真哉

先ほど読み終えた『経営者・平清盛の失敗』だけ、少し解説を。

経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書経営者・平清盛の失敗

ご存じの、2012年NHK大河ドラマの主人公です。

この本によると、荘園などを経営して米を税として徴収している貴族たち、重農主義の既得権者に対抗したのが、貿易や貨幣経済で台頭する重商主義、新興勢力が清盛の平家一門ということです。

平家の隆盛と滅亡は、貴族対武士、平家対源氏というよりも、農業主体の守旧派と商業主体の改革派の、歴史的な階級闘争のような。

清盛は、博多や神戸の港を整備し、瀬戸内海航路を開発。すべては海外貿易と農業からの脱皮を目指したようです。

幕末・明治維新も、そしてたった今の日本も、農業や伝統および自分の既得権を守ろうとする旧体制護持者と、平清盛や坂本龍馬や橋下徹のような、破壊的革命家との戦争ですね。

ただ、著者によると「宋銭」が平家が栄え滅びた主原因としていますが、これだけは釈然としないです。

ともあれ、非常に秀逸な、経営者として組織の存亡を考えるヒントが多い、すばらしい本でした。

来年の大河ドラマは見逃せませんね。