『ハイエク 知識社会の自由主義』池田信夫著 これですべての謎が解けた

先だってのSEOセミナーの懇親会の話です。

私は、池田信夫さんは凄い人で、この方のブログにアクセスしたり本を読んだりしないとダメですよ。と言うと、知らない人がほとんどだったので驚きました。

ということで、もう一度、エバンジェリストになっておきます。

  • 池田信夫 blog

実際、このブログはPageRankも6ですし、2008年6月のページビューは145万超とのこと。池田さんは間違いなくアルファーブロガーのひとりです。
ブログに、Amazonへのアフィリエイトリンクを貼っておられますが、その収益は執筆の原稿料以上とのことです(笑

ハイエク 知識社会の自由主義と池田信夫 blog

最近読んだ、池田信夫の『ハイエク 知識社会の自由主義』は私の脳の中を革命してくれました。(以下敬称略)

人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をするとハイエクは考えた。

「不完全な知識にもとづいて生まれ、常に進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を、インターネットは証明したのである。

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

池田信夫著『ハイエク 知識社会の自由主義』

ところで、私にとっての哲学、認識論は、若いころに触れた量子力学(もちろん入門レベル)、とりわけハイゼンベルクの不確定性原理によって大きく修正を余儀なくされました。

極端に言えば、学説とか定説とか、常識とされていることは本当は風説に過ぎず、いつでもくつがえるということ。
さらには、科学的アプローチを進めていけば、その科学を否定しなければならないということ。

真実はそのまま存在していて、科学の進歩とか知識の集積によって、真実が必ず解明されるというのは神話である。
事実というのは存在しない。観察行為そのものが観察対象に干渉することによって、事実は刻々と変化するし、観察者の数だけ事実が存在することになる。

こういった意味で、私の哲学はカントの物自体を背景とした認識論、あるいは懐疑主義に転向していくわけです。廣松渉もその先生のひとりでした。

真実を知ることは絶対にできない、って凄くないですか?

もっとも、まず欧米の合理主義の洗礼を受けて知への信仰が根付いていないと、分からない話ではあるのですが…

『ハイエク 知識社会の自由主義』の第一章は、「帝国末期のウィーン」と題されています。

西洋の没落

ハイエクが生まれたのは一八九九年、帝国が崩壊する世紀末のウィーンだった。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン学派は、西洋音楽の基本構造である調性を否定し、十二音などの新しい音階によって作曲する実験を行った。調性のない不安な音楽は、第一次大戦の荒廃したウィーンの状況を映し出すとともに、古典派以来つづいた西洋音楽の歴史に終止符を打つものだった。

ウィーンは、科学の分野でも二十世紀の方向を決めるような重要な発見を生み出した。シュレーディンガーが波動方程式を発見し、量子力学の基礎を築いたのはウィーンである。同じ時期、ドイツでもハイゼンベルクが不確定性原理を独立に発見し、両者は数学的に同一であることをシュレーディンガーが証明した。

こうして私の中で、学生時代に感染した認識論の限界と懐疑主義、今進めているインターネットでのビジネス、そういった諸々のものが見事につながったのです。つまり、私的には、すべての謎が解けた、そういうことになりました。
そして「偶発性の哲学」として、ほとんどすべての知識や経験がひとつの大系としてまとまったのです。

「哲学」というのは、法則や原理や定理といった生やさしいものではなく、私の経験と知識のすべてを統合し貫徹する絶対的な思想だからです。

なお、「そういった諸々のもの」とは、まず歴史認識です。

マルクス・ヘーゲル的な西欧中心の歴史主義への傾倒と距離感、古事記・日本書紀には書かれていない日本古代史の闇の王朝交代劇、あるいは栗本慎一郎の経済人類学やオーパーツ(OOPARTS)などなど。
西洋の音楽史や絵画史、日本の和歌史など、すべての歴史を持つ事象が「偶発性の哲学」で理解することが可能になったのです。

もちろん、数々のバブルとその崩壊による経済危機についても、ナイトの不確実性やタレブのブラックスワンについても、すんなり入り込めるようになりました。

The Black Swan – 池田信夫 blog

ふつう自然科学や経済学で確率を考える場合、ほとんど正規分布を仮定している。しかし実際に世界を動かしているのは、そういう伝統的な確率論で予測できない極端な出来事――Black Swanである。

著者がBlack Swanを理解していた唯一の経済学者として挙げるのがハイエクだが、実は彼より前にこの問題をテーマにした本がある。Frank Knightの"Risk, Uncertainty, and Profit"(1921)である(ウェブサイトで全文が公開されている)。Knightは、確率分布のわかっているリスクと確率分布を計算する根拠のない不確実性を区別し、リスクは保険などで事務的に解決できるが、不確実性は経営者の決断によって解決するしかないとした。

その後の経済学者は、Knightの議論を「意味論的な思弁」としてバカにし、根拠もなく正規分布を仮定して、壮大な理論体系を構築してきた。

次の記事は、タレブに近況について。

White Swan – 池田信夫 blog

Bloombergによれば、Nassim Talebが顧問をつとめるヘッジファンド、Universal Investmentが今年、50%以上の値上がり益を出した。彼らの使っている投資プログラムBlack Swan Protection Protocolは、out-of-the-moneyのオプションを買うことでリスクをヘッジするものだ。

「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」という投資プログラムって、凄いネーミングです。

SEOと不確実性あるいはブラックスワン

私の運営するSEO塾は、しこしこSEOをやってお気楽に順位アップするだけでなく、アルゴリズムの変更やペナルティの導入による順位変動の検知、分析、リカバリーが売りとなっています。

商用サイトにとって、検索エンジン経由の集客は、ある意味で生命線になっていますから、順位ダウンは死活問題になりかねません。

よって、アルゴリズムによる順位変動があるものとして対策に組み込んで、上位表示の確率が高く、かつペナルティを受けにくいフォーマットを開発しました。
これによって、ある意味でナイトの言うようなリスクを回避できるのです。

ただ、Googleの昔のフロリダ・オースティンや、サンドボックスなどのアルゴリズム変更(もしくはスパムフィルター導入)のときは、数サイトが原因不明の順位ダウンに見舞われました。最近ではYahoo!のトップページダウンペナルティでしょうか。
これは、ナイトの不確実性であり、タレブのブラックスワンと同等のものに当たるでしょう。

タイトルとか見出しタグにキーワードを書くとか、相互リンクや一括登録でたくさんリンクを受けるというようなことは、あるいはその他どんなに高度で他人の知らないテクニックを駆使して上位表示を達成していても、これはホワイトスワンに過ぎず、いつでもブラックスワンという突発的で予測不可能な順位変動は起こりうるし、実際に起こっているわけです。

ということで、私も本業のSEOで「ブラックスワン・プロテクション・プロトコル」を発明しちゃいました(笑
そのさわりの部分は、2008-10-09に開催した「順位変動対策のSEOセミナー」の最後に語っています。

どんな順位変動が起こるかは、予測不可能であり、偶発性から逃れることはできませんが、このいつ起こるか分からない偶発的な順位変動を織り込み済みにするサイトオーナーの事前準備は可能なのです。

新しい商材、事業の計画 – マーケティングやデータの無力

知識を過信していない人、出たとこ勝負の人、その日暮らしの人には関係ないことですが、ある程度の情報を収集して、それなりにビジネスに活かしていこうというタイプの人は、手持ちの知識で将来を設計・デザインすることは不可能であると自覚した方がいいでしょう。

もっとも分かりやすいことは、例えば新しい商品を売り出す場合に、市場はまだ存在しないわけで、マーケティングしようにもデータがそもそもないのです。
もし商品が、従来のものの改良品であれば、既存勢力との戦いになるのですが、画期的であればあるほど、未知の世界に踏み込んだ市場創出といった展開になります。

個人の人生においても、新しい体験や、知らないところに足を入れることはしばしばあるでしょう。

問題は、こういった未知のものに対して、既存の知識や情報、データなどを総動員するような官僚的手法では、必ず失敗する、そこまでいかなくても可能な限り失敗する、そういう認識が必要と言いたいのです。

例えば、ハイエクやナイト、タレブのような一流の経済学者が取り上げるであろう、サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機は、国家や大企業だけに限定されず、規模の大小にかかわらず消費の低迷などでわれわれスモールビジネスの領域も浸食してくるでしょう。

金融機関からの融資が経営の前提になっているところは、既に貸し渋りや貸し剥がしによって、存続が危ぶまれている会社も出はじめています。

だがしかし、経済はゼロ、つまり壊滅するわけではありません。

それでも、人々は細々と、あるいは逞しく、生きていくわけです。

この未曾有の艱難に、青天の霹靂のような運命として泣き言を垂れるのか、千載一遇のチャンスと捉えるのかによって、事業家のその後が大きく変わってくるはずです。

不確実性やブラックスワンを射程に入れたビジネスモデル、ないしは経営方針によってこそ、会社や事業家は生き延びることができるということになるのです。

そもそも起業家そのものが、みずから不確実性やブラックスワンを体現して世に出て行くものなのです。

項羽と劉邦 司馬遼太郎著 兵に将たるもの、将に将たるもの

私は、学生時代は文学や芸術、哲学や思想関連の本を、サラリーマンになってからはビジネス書を、退職してから今日まではICT(情報通信技術)関連情報の書籍を、良く買って読んでいます。

まず、重要な箇所には傍線を引く習慣ですから、図書館で借りることはできません。それに、小市民的ですから、本は買って読みたいです。他人の手垢も気持ち悪いですし…

今ざっと数えたら、2000冊程度はありそうです。漫画本を除いて(笑

未読のものもありますが、さらには読んだ記憶はあっても内容はすっかり忘れているものばかりで、これに驚きますね。

ただ、内容は覚えていないのですが、感動した記憶だけは残っています。

今日はその中の一冊を。

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』です。

時代の変化を読めないチョンマゲ・二本差しを嗤う司馬遼太郎

司馬遼太郎の本は、NHKの大河ドラマの原作となることが多いですね。

その中で、大学時代に先輩から教えてもらったものが、『花神』でした。

NHK大河の放送と私の読書と、どちらが先かは忘れました。

花神とは花咲爺さんのことです。
明治維新の過程で、臼となり灰となった革命志士たち先達の業績を継いで、軍事の大家である大村益次郎が倒幕の花を咲かせるというわけです。

大河ドラマ「花神」は、これに『世に棲む日日』から吉田松陰や高杉晋作などのエピソードを交えることによって、非常にボリュームのある名作となったようです。

司馬遼太郎の幕末小説の特徴は、チョンマゲ・二本差しの武士が、いかに愚かで絶滅種であるか、アイロニーたっぷりに書かれていることですね。

伝統墨守とか、旧態依然とか、武士の面子とか、お家とかが大事で、そのために人を殺し自分も殺しているわけです。

娯楽小説ながら、哲学的なメッセージを盛り込んでいた、すぐれた作家です。

「兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦」が『項羽と劉邦』のテーマ

司馬というペンネームは、もちろん『史記』を著した中国の司馬遷から取っています。

そしてとうとう、司馬遷の『史記』に想を得て、『項羽と劉邦』を書いたのです。

司馬遼太郎著『項羽と劉邦』

私は、大学に入ったばかりのときは、金銭的理由から文庫本ばかり買っていたのですが、先ほどの先輩から「蔵書」という趣味を倣い(笑 できるだけ単行本を買うような習慣に変わりました。

もちろん『項羽と劉邦』は、文庫化する前でしたので単行本で全三巻をそろえました。

項羽と劉邦 奥付

奥付を見ると「昭和五十五年」とありますから、このブログの読者の中には生まれる前と言うこともありえますね…

この大作のテーマのひとつは、『史記』の淮陰侯列伝にある劉邦と項羽に対して韓信が評価した言葉にあります。

淮陰侯とは韓信の最後の地位身分です。かつては国士無双とよばれ、劉邦の中国統一、漢帝国を興す大立役者も、中途半端な野心がたたって降格させられ、最後は処刑されてしまいます。

韓信は、武将としての能力も高いのですが、とりわけ名声や処遇にこだわり、そのため項羽の元を去り劉邦の傘下となった経緯があります。

韓信曰く
劉邦は、せいぜい十万人程度の兵を指揮する将軍でしかない。それ以上は無理だ。
自分(韓信)は、百万でも千万でも兵は多ければ多いほどよい。
では、十万の兵の将軍でしかありえない劉邦が、なぜ、百万千万の兵の将軍である韓信を従えることができるのか?
劉邦は、兵に将たる能力はない。しかし将に将たる能力がある。

つまり、兵に将たる項羽と、将に将たる劉邦、というのが、『項羽と劉邦』のテーマのひとつでもあるのです。

まあ、課長の器と社長の器、というところでしょうか。
近いところでは、内閣官房長官の器と、総理大臣の器、でしょうか(笑

ちなみに、私は高校二年生のときに覚醒して、司馬遷『史記』全巻の日本語訳も買って読みました。

『史記』淮陰侯列伝では、韓信が項羽を「匹夫の勇」と評しています。

ところで、韓信理論によると、課長で手柄を立てて部長になる、部長で手柄を立てて取締役になる、ということはありえなくなります。
島耕作は、日本型企業の伝統的な出世パターンではあっても、彼が経営する初芝電器産業はグローバル企業にはなれるわけがないということになります。

だから、アメリカはヘッドハンティングを含めて、いきなり、余所から連れてきた人や、平社員を、上のポストに就けるということになるのでしょうかね。

日本型のエスカレーター型昇進システムでは、下位の器の人材を上位に就けて、組織が機能不全になりやすいとか…
これを「項羽型人事」と呼びましょうか(笑

任天堂の再逆転も、日本的で慣習的な、非韓信的な、項羽的な、社長交代ではなかったところにあるのかも。

任天堂 “驚き”を生む方程式:井上 理(著)

私にとっては待ちに待った任天堂本です。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

世襲とか創業家とか ゲーム機トップシェア奪還の任天堂という事例でも取り上げていますが、任天堂という会社は非常に謎めいた、興味深い大企業です。

そして、時価総額も3兆6500億円で、日本で7番目なんですね。

任天堂の時価総額は日本7位 パナソニックやシャープ、ソフトバンクやヤフーよりも上

パナソニックや、ソニーよりも上なんです。

そのソニーのPlayStationおよびPlayStation 2によって市場から見放され、いわば失われた10年を経た任天堂が、いかにしてWiiやDSを市場投入して、ゲーム機市場でトップを奪還できたのか?

気になって気になって、仕方ありませんでした。

上記記事をエントリーしたときには、究極のイノベーションとしての「世襲」の否定こそが、任天堂の復活の秘密だったのでは、という結論でした。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

任天堂の2008年3月期の、売上高は1兆6700億円、営業利益は4800億円だとのことです。
社員数が3800人で、一人あたりの売上高が4.4億円、営業利益は1.3億円と。

任天堂 "驚き"を生む方程式:井上 理(著)

この会社は、結局は花札・トランプの会社を、一代で世界的なゲーム機・ソフト企業へと育て上げた、山内溥氏のカリスマに追うところが大でしょう。

しかも、何度も潰れかかっていますから、社名の「天に任す」というように、運も味方したと。

カリスマ経営者には、カリスマ部下がつきものです。
横井軍平、宮本茂、岩井聡…

また、スペック志向ではない、ローテクの枯れた技術の水平思考で、次々とヒット商品を生み出しています。

そして、任天堂はよそと違う製品を送り出すことが至上なのですが、会社そのものがよそと違っています。

任天堂は、稟議を通すためのプレゼンテーションや交渉、社内調整など煩わしい作業を、あまり要求しない会社なのだと、岩田は言う。

「例えば宮本が、会社からどうやって予算を取るかということに、時間やエネルギーの半分を使わなきゃいけないとしたら、今と同じだけのクリエイティブのパワーをこの年齢で維持できていないと思う。その価値を(宮本は)若いころにわかりました、ということなんですね」

さて、23条もあるファーストリテイリングの経営理念に対して、任天堂には会社としての文章をまったく発信していないそうです。

先代の社長であった山内溥氏は、企業理念という言葉を嫌っていて、明文化したものが必要な経営者は大成しないと考えていたと。

岩田聡現社長いわく、

「社是、社訓がないことが、任天堂イズムなんですね。だって、社是、社訓のとおりに動いていたら人々(お客さん)は飽きてしまうから」

よそと違うことをしなさい、人は同じことを続けたら飽きてしまう、環境の変化に対して柔軟でありなさい、過去に成功した方法が未来も通じるとは思ったらいけない……。

要は独創的であれと言われているのに、こうしなさいという文書を忠実に守るのはおかしい。という岩田の理解だ。

ユニクロは社長・経営者の創造物ですが、任天堂は企業という生命体になっているようです。

両社は両極でもありますが、共通しているのは、勝つべくして勝ったとは思っていないことです。

凡人が勘違いしてはいけませんが、出てくる言葉は、まぐれとか運とか、そういったものです。

ユニクロ・ファーストリテイリングにしても任天堂にしても、凄い経営者、凄い会社です。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本:郷原信郎著 コンプライアンスの暴走

「思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本」で郷原信郎氏は、いかに日本がとんでもない錯誤に満ちた世界になっているか、反省を促しています。

『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』郷原信郎著

著者の郷原信郎氏は、かつて例の東京地検特捜部にも籍を置いた、日本のコンプライアンス問題の第一人者である弁護士です。

その方が、特に経済に関する無知不勉強な検事や裁判官を批判し、暴走するメディアや大衆の「法令順守」病に冒された思考停止に警鐘を鳴らしています。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本:郷原信郎著

「不二家」や「伊藤ハム」の事件に当事者として携わった人間として、著者は騒動の愚かさを指摘しています。
発表しないことを「隠蔽」として騒ぎまくったメディアの、国民の安全ではなく視聴率だけを追求したというバカさ加減が分かります。

姉歯事件をきっかけとして建築基準法が改正され、これ自体が官製不況をもたらしました。
誰も彼もが、建築士や建設会社やマンション販売会社を叩いて潰して社会的生命を終わらせたのですが、地震が来たら壊れそうな建物はいくらでも残っており、そしてそれらは建設当時の法律には違反していないということで放置されているのです。

法律を守って、国民の安全は守られず。これが今の日本です。

ライブドアの堀江貴文、村上ファンドの村上世彰、ブルドックソースの企業防衛判決など、経済をめぐる検察と裁判所の無知や不勉強さを指摘し、さらには日本の経済活動に致命的なダメージを与えたと。
また、広島のアーバンコーポレイションが破綻して地元は大変なんですが、この裏に直前にアーバンに融資したBNPパリバ証券の不正な「スワップ契約」が株主に致命的な損害を与えたかもしれない事件は、放置されているそうです。これは、堀江や村上どころではない、大犯罪の可能性もあると。

裁判員制度や、社会保険庁の年金記録漏れ問題も、テレビや新聞とは大きく異なった見解を示しています。

終章の、今の馬鹿げた日本の法令順守・思考停止社会から脱する提案は、少し説得力がありませんが、それはわれわれがなすべき役割でしょう。

結論としては、みのもんたや古舘伊知郎、宮崎哲弥などの電波芸者に騙されず、自分で情報を集め、自分で考え、自分で判断するしかない。そういう世の中にしよう、ということになりそうです。

  • 参照:思考停止社会 – 池田信夫 blog

思考停止、判断停止、疑念停止こそがブランドの正体?

非常に飛躍した意見です。

マーケティングにおいて、ブランドのあるなしで決定的に違うというのが、理論的な帰着です。

では、ブランドが果たす役割、消費者の購買行動に、どう働きかけているのか? が肝となるでしょう。

ブランドがあることによって、消費者は、商品の機能や他商品との違いなどを既に知っており、また、会社についても商品の開発力や販売の確実性などを自明のものとするわけです。

ECサイトにおいては、商品の紹介文と実際に届いたものとの落差を心配せずに済みますし、また振り込んでも届かないといった不安もぬぐい去られています。

ということは、ブランドがあれば、商取引において、疑いの心が生じないと言えるのではないでしょうか?

ですから逆に、ネガティブな悪評判が経てば、上記の郷原信郎氏が指摘するような、思考停止したこれでもかという大衆の攻撃が起こっているわけです。

つまり、ポジティブな評判としてのブランドは、消費者の思考停止を招いていて、良いとか悪いとかの判断も停止しており、詐欺ではなかろうかという疑念も湧かないようになるのです。

だから、ブランドがあれば、売れるのです。

私が究めたところのブランドの正体とは、消費者の購買において、思考停止、判断停止、疑念停止するだけの確固とした評判や信頼や確立すること、となります。

いかがでしょうか?

表示速度の遅いページをrobots.txtでブロックすべきか


Googleはページの読み込み速度をランキング指標に取り入れている。しかし極端にヒドイのでない限りは遅いページをrobots.txtでブロックするほどまで対応する必要はない。なおページスピードがアルゴリズムに組み込まれているのは米Google(google.com)のみ。日本のGoogle(google.co.jp)には未導入のはず。勘違いが目立つので要注意。

- 表示速度の遅いページをrobots.txtでブロックすべきか -

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