ご存じとは思うが私はSOHO、起きている間はずっと仕事をしているし、逆に仕事中のヒマを見ては食事などの私用をはさむ。
先ほど見終わった、NHKの歴史秘話ヒストリア「雨にも負けぬサラリーマン~宮沢賢治 最期の2年半~」 は、鳥肌が立つほどの感動ものだった。
無知だった宮沢賢治の最晩年
宮沢賢治と吉本隆明は、私にはセットであり(宮沢賢治全集のすすめ 求めたものはユートピアか革命か)、高橋源一郎が小沢一郎は吉本隆明であると言ったことには、驚きつつも納得もした。
では順番に
歴史秘話ヒストリア 雨にも負けぬサラリーマン~宮沢賢治 最期の2年半~
●本放送 平成22年 5月12日(水) 22:00~22:43 総合 全国 ●再放送 平成22年 5月19日(水)
平成22年 5月21日(金)
平成22年 6月 2日(水)08:15~08:58
02:25~03:08
16:05~16:48BS2
総合
総合全国
全国(木曜深夜)
全国34歳の時、肥料用の石灰を販売する営業マンとなった賢治は、会社への仕事の報告を欠かさない、まじめなサラリーマンだった。
ともあれ、最後の再放送をかろうじて見ることができたということである。
また、宮沢賢治の年譜として、下記を参照させていただく。
晩年(東北砕石工場、闘病時代)
1929(昭和4)年 33歳 病床生活 春 東北砕石工場の鈴木東蔵の訪問をうける 1930(昭和5)年 34歳 2月 病状やや回復 9月 東北砕石工場を初めて訪問 1931(昭和6)年 35歳 2月 東北砕石工場技師嘱託。石灰販売に奔走 9月 壁材料の宣伝のため見本を大トランクに詰め上京、発熱
家族あてに遺書を書く11月 3日、「雨ニモマケズ」を書く 1933(昭和8)年 37歳 9月 21日永眠す
さらに、東北採石工場は、下記を。
より興味を持った方は、岩手日報文学賞 などもご覧あれ。
鬼気迫る宮沢賢治の営業力、そしてマーケティングとビジネスモデル
いつものように、感動した以上、いろいろな情報を得るために検索し、Amazonで買い物もしたのだが、すごいページを見つけてしまった。
最後に、まるで教育勅語か道徳訓で使い古されてしまった雨ニモ負ケズの宮沢賢治の、偉大なるビジネスマンぶりを引用してみる。
「どうしても手伝ってやりたくて致し方なくなった」賢治が、昭和五年はじめ東蔵宛に「貴工場への献策」と題する長い書簡を書き送りました。
商品名
商品名呼称を「肥料用炭酸石灰」に改めたらどうだろうか。一般購買者の理解を拡げるため「充分に購買欲を刺激し、且つ本品の実際的価値を示す名称だと思う。
法律的にもこの名称は差し支えあるまいと思います。
価格
競争に対応するには、粒子の大きさと篩い分けの有無で区分けし、それぞれの販売価格を設定したらどうだろうか。
低価格におさえて農家が容易に入手できるようにしたい。だが一方、工場経営自体をも成り立たせなければならない。
競争と販路
農業の進歩につれてだんだん競争者も出て来ることは覚悟しておいた方が良い。そうなると炭酸石灰の販売競争は運賃の額、即ち距離の問題がポイントになるから、貴工場の位置からして宮城県の大部分、岩手県の南半、並びに山形県北半への宣伝に力を入れるのが、先を見越した得策だと考える。
「他の競争を許さないような」新肥料を作成し「その製造権を登録したい」。また製品の包装に商標をつけ、東北砕石工場製品だと表示する必要がある。
商材開発、イノベーション
また貴工場の設備で出来る他の事業として「大理石や一般飾り石の研磨の事業」を挙げ、「今後洋風建築の発達と一般好尚の進歩に伴って十分間に合うと思います。原料は大船渡線には相当あるはず」と付記します。
すばらしい!
詩や物語を創作できるからこそ、ビジネスでもイノベーターとなれるのかな?
商用サイトも、商品名・キーワードや、そもそもの商材、誰に売るのか、どのように売るのか、ビジネスモデルやマーケティングをキッチリやっておくべきである。
宮沢賢治に学ぶことは多い。
